経度法懸賞金

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 想像してみてください。1714年、ロンドンの議会で緊張感漂う討論が行われています。イギリス海軍の船が経度を正確に測定できないために、何千もの尊い命が失われてきました。航路が不明確なために、貿易船は余分な日数をかけて航海し、貴重な貨物が腐敗していました。何かをしなければならなかったのです!

 経度とは、地球上の東西位置を示す座標で、本初子午線(グリニッジ天文台を通る南北線)からの角度で表されます。緯度(南北位置)は北極星などを使って比較的簡単に測定できましたが、経度の測定は航海の歴史において最も難しい課題の一つでした。この「経度問題」は、大航海時代から300年以上、解決されないままだったのです。

 経度の問題が切実になった背景には、1707年にイギリス海軍の四隻の軍艦がシリー諸島の岩礁に衝突し、約2,000人の船員が命を落とした悲劇がありました。この事故は単なる航海ミスではなく、経度を測定できないという当時の技術的限界がもたらした惨事だったのです。これをきっかけに、経度問題の解決を求める声が高まりました。

 そこでイギリス議会は画期的な法律を可決しました。それが「経度法」(Longitude Act)です。この法律は、海上で経度を正確に測定する方法を発明した人に、途方もない額の懸賞金を出すというものでした。当時の金額で最高2万ポンド(現在の価値で数百万ドル相当)が用意されたのです!

 懸賞金額は正確さのレベルによって段階的に設定されました。 ・経度を30分(0.5度、赤道上で約56km)の精度で測定できる方法には1万ポンド ・経度を40分の精度で測定できる方法には7,500ポンド ・経度を1度の精度で測定できる方法には5,000ポンド これは現代で言えば、ノーベル賞の何倍もの賞金額です!

 この懸賞金を管理するために、「経度委員会」が設立されました。天文学者や数学者、海軍将官などから成るこの委員会は、提案された解決策を評価する権限を持っていました。委員会には、王立協会会長のアイザック・ニュートンやエドモンド・ハレー(ハレー彗星の命名者)といった当時の最高の科学者たちが参加していました。

 経度を測定する方法には主に二つのアプローチがありました。一つは「天文法」で、月や星の位置から経度を計算する方法です。特に「月距離法」と呼ばれる、月と特定の星との角度を測定する技術が有望視されていました。もう一つは「時計法」で、正確な時計を船に持ち込み、地元の時刻と「標準時」との差から経度を計算する方法です。

 この「時計法」の原理は次のようなものです。地球は24時間で360度回転するので、1時間で15度回転することになります。そのため、2つの場所の間で時刻に1時間の差があれば、経度差は15度ということになります。例えば、グリニッジで正午、船上で午前10時だとすれば、船はグリニッジの西に30度(2時間×15度)の位置にいることになります。逆に、船上で午後2時であれば、グリニッジの東に30度の位置になります。このシンプルな原理にもかかわらず、当時は正確な時刻を保持できる船上用の時計がなかったのです。

 天文法の支持者たちは、月や木星の衛星を「天空の時計」として利用することを提案しました。特に月の動きは規則的で予測可能であるため、月と固定星(恒星)との角度を精密に測定すれば、グリニッジでの時刻を推定できると考えられていました。天文学者のネヴィル・マスケリンは月距離法の開発に貢献し、詳細な天文表「航海暦」の作成に尽力しました。しかし、この方法は複雑な計算を必要とし、荒れた海上での精密な観測は非常に困難でした。

 木星の衛星を用いる方法も提案され、検討されました。木星の四大衛星(ガリレオ衛星)は予測可能なパターンで木星の周りを公転し、木星の影に入る(食)タイミングは天文表にまとめられていました。これらの衛星の食を観測することで、グリニッジ時間を知ることができると考えられたのです。しかし、これには強力な望遠鏡と安定した観測条件が必要で、揺れる船上での実用は極めて困難でした。

 ニュートンは懐疑的でした。「私は時計師が解決策を見つけるとは思わない。それは天文学者による発見になるだろう」と述べています。当時、船の揺れや温度・湿度の変化に耐えられる精密な時計を作ることは、ほぼ不可能だと考えられていたのです。実際、当時の最高の振り子時計でさえ、陸上の安定した環境では1日に数秒の誤差でしたが、船上では全く役に立ちませんでした。

 懸賞金の発表後、多くの発明家や科学者が解決策を模索しました。なかには奇抜なアイデアも少なくありませんでした。例えば、「負傷犬法」と呼ばれる提案では、世界中の各地点に負傷した犬を置き、その犬が特定の時間に鳴くように訓練するというものでした。船上では、この遠吠えを聞き取れる特殊な器具を使い、時間差から経度を計算するというものです。もちろん、これは実現不可能でした。

 他にも、「火薬信号法」という提案では、世界の主要な岬や島に大砲を設置し、正確な時間に発射するというものでした。船の乗組員は音を聞くと時間を記録し、グリニッジ時間との差から経度を算出するというアイデアでしたが、音の伝達距離の限界や天候の影響などから現実的ではありませんでした。また、「共感時計」という神秘的な提案では、二つの時計が不思議な「共感」によって同期し続けるという理論に基づいていましたが、科学的根拠はありませんでした。

 しかし、素人時計職人のジョン・ハリソンはこの挑戦に立ち向かい、40年以上にわたる努力の末、船上でも正確に時を刻む「海洋時計」(クロノメーター)を開発することに成功します。彼は計4台の時計(H1からH4)を製作し、特に最後のH4は5ヶ月の試験航海で驚異的な精度を示しました。その物語は、後に「経度の発見」として知られるようになる人類の偉大な成功の一つです。

 ハリソンは時計職人の家系ではなく、ヨークシャーの大工の息子として生まれました。独学で時計製作を学んだハリソンは、振り子時計の精度向上に取り組んでいましたが、経度法懸賞金のニュースを聞き、彼の人生は一変します。最初の海洋時計H1の完成には5年を要し、1735年に完成しました。H1は従来の振り子に代わり、二つの連動する天秤棒を使用した革新的な機構を採用していました。これにより、船の揺れの影響を相殺し、精度を保つことができたのです。

 H1の試験航海はポルトガルへの往復で行われ、予想以上の精度を示しましたが、ハリソン自身は満足せず、改良型のH2を製作しました。さらに改良を重ね、より小型で正確なH3の開発に12年以上を費やします。しかし、最終的なブレイクスルーは、従来の考え方を捨て、まったく新しいアプローチで設計したH4によってもたらされました。

 H4は直径12cmほどの懐中時計サイズで、以前のモデルとは比較にならないほど小型でした。このサイズの小ささは、温度変化の影響を受けにくいという利点もありました。1761年、ジョン・ハリソンの息子ウィリアムはH4を携えてジャマイカへの試験航海に参加します。驚くべきことに、61日間の航海の後、H4の誤差はわずか5秒しかありませんでした。これは要求されていた精度をはるかに超える成績でした。

 ハリソンの海洋時計はかなりの成功を収めましたが、経度委員会はすぐには彼に満額の賞金を与えませんでした。彼の発明が偶然の成功ではないことを証明するために、さらなるテストや設計図の公開が求められたのです。最終的に、高齢になったハリソンは国王ジョージ3世の介入により、実質的に全額に近い懸賞金を受け取ることができました。

 当時の経度委員会の議長だったネヴィル・マスケリンは、自身が開発に関わった月距離法を推していたため、ハリソンの時計法に対して公平でなかったという批判もあります。マスケリン自身は優れた天文学者で、グリニッジ天文台台長として「航海暦」の発行を主導し、月距離法の計算を簡素化するための表を作成しました。皮肉なことに、最終的には両方の方法が併用されることになります。時計は経度の迅速な測定に使われ、月距離法は時計の精度を確認するためのバックアップとして機能したのです。

 ハリソンの時計は非常に高価で、複製が困難だったため、すぐに広まることはありませんでした。しかし、ジョン・アーノルドやトマス・アーンショーといった時計職人がより安価で製造可能なクロノメーターを開発したことで、19世紀初頭には多くの船が海洋時計を搭載するようになりました。特に有名なのは、チャールズ・ダーウィンが「ビーグル号」での航海に使用したクロノメーターで、彼の科学的観察の正確な位置記録に貢献しました。

 経度問題の解決は、航海の安全性を飛躍的に向上させ、より正確な海図の作成を可能にしました。また、国際的な標準時の概念の発展にも寄与し、現代のGPSシステムの先駆けとなる重要な成果だったのです。

 この経度法懸賞金は、政府が科学技術の発展に賞金で報いるという新しいアプローチを示した点でも革新的でした。現代のXプライズなどの科学賞の先駆けと言えるでしょう。皆さんも覚えておいてください。大きな問題には大胆な解決策が必要で、時には型破りなアイデアが人類の進歩をもたらすのです!

 ハリソンの物語は、執念と創意工夫の勝利でもありました。当時の科学界ではアウトサイダーだった彼は、経験豊かな時計職人や学者たちが解決できなかった問題に挑み、成功を収めたのです。彼の生涯は、「専門家」の常識に挑戦する大切さと、学問的背景よりも実践的な問題解決能力が重要な場合があることを教えてくれます。

 現代では経度の測定はGPSなどの衛星技術により一瞬で行えますが、それでも多くの船舶にはハリソンの発明から進化した海洋クロノメーターが搭載されています。電子機器が故障した場合のバックアップとして、伝統的な航法技術はいまだに価値があるのです。ハリソンの遺産は、現代のナビゲーション技術の基礎となり、世界の標準時システムの発展に大きく貢献しました。

 経度法懸賞金がもたらした発明と発見は、単なる航海技術の向上にとどまらず、国際的な時間の標準化への重要なステップとなりました。船が正確な時計を携帯するようになると、世界各地の港や主要都市は、グリニッジを基準とした時刻システムを採用するようになります。これが後の「グリニッジ標準時」(GMT)の基礎となり、やがて世界標準時の確立へとつながっていくのです。

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