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9. キャリアの見通しが立てにくい:背景

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キャリアの見通しを立てることが難しいと感じる背景には、主に以下のような要因があります:

  • 終身雇用制度の変化と雇用の流動化:かつての日本社会では「一つの会社で生涯を過ごす」という暗黙の了解がありましたが、バブル崩壊後の経済変化や市場のグローバル化により、この前提が大きく揺らいでいます。企業側も終身雇用を保証することが難しくなり、「ジョブ型雇用」への移行も進んでいます。厚生労働省の調査によれば、入社10年以内に退職する若手社員の割合は年々増加しており、特に20代では約70%が「キャリアアップのために転職を考えたことがある」と回答しています。この変化は、キャリア形成の責任が企業から個人へと移行していることを示しています。
  • テクノロジーの進化による仕事内容の急速な変化:AIやロボティクス、自動化技術の発展により、多くの業務が効率化・自動化される一方で、新たな職種も次々と生まれています。今、習得したスキルが5年後も同じ価値を持つという保証はなく、継続的な学習が不可欠になっています。例えば、わずか数年前までは「データサイエンティスト」という職種はほとんど存在していませんでしたが、現在では多くの企業で必要とされる専門職となっています。一方で、かつて安定していた事務職や中間管理職の多くは、自動化やAIの導入により仕事内容が大きく変わりつつあります。経済産業省の試算では、2030年までに日本の労働人口の約49%が就いている職業が、AIやロボットによって代替可能になるとされています。
  • 多様な働き方やキャリアパスの出現:正社員だけでなく、副業、フリーランス、ギグワーカー、起業など、働き方の選択肢が多様化しています。また、一つの専門分野を極める「I型人材」だけでなく、複数の専門性を持つ「T型人材」や「π型人材」など、求められる人材像も変化しています。2020年以降のコロナ禍は、この傾向をさらに加速させました。リモートワークの普及により、地理的制約を超えた働き方が可能になり、「地方に住みながら都市部の企業で働く」といった新たなライフスタイルも現実的な選択肢となっています。総務省の調査によれば、副業を持つ会社員は2016年の約4%から2021年には約8%へと倍増しており、特に20代・30代では「将来のキャリアオプションを広げるため」という理由が上位を占めています。
  • 企業内でのロールモデルの不在:特に新しい職種や女性管理職などの場合、社内に参考になるキャリアパスを歩んだ先輩がいないことも多く、自分の将来像を描きにくい状況があります。「この人のようになりたい」と思える存在がいないと、目標設定そのものが難しくなります。例えば、内閣府の調査では、女性管理職比率は2021年時点で約12%にとどまっており、多くの女性社員が身近なロールモデルを見つけられずにいます。また、デジタルトランスフォーメーション(DX)推進などの新たな職種においても、社内に先例がないため、キャリアパスが見えにくいという課題が生じています。社内でロールモデルが見つからない場合、外部のコミュニティや業界団体を通じてメンターを見つける重要性が高まっていますが、そうしたネットワーキングのスキルや機会が不足している若手社員も少なくありません。
  • 自分自身の適性や興味関心の不明確さ:若いうちは自己理解が十分でないことも多く、「本当にやりたいこと」や「自分に向いていること」がわからないまま、周囲の期待や条件の良さで職業選択をしているケースも少なくありません。社会人になってから「自分に合っていない」と気づくこともあります。近年の就職活動では、自己分析の重要性が強調されていますが、実際には限られた情報や経験のもとでの判断となるため、入社後に「想像していた仕事と違う」と感じることも珍しくありません。ある調査では、新入社員の約40%が「入社前のイメージと実際の仕事にギャップを感じている」と回答しています。また、日本の教育システムでは、早い段階での進路選択が求められるため、十分な職業体験や自己探索の機会がないまま就職を迎える若者も多いのが現状です。

特に新入社員にとって、これらの要因は大きな不安材料となります。終身雇用が当たり前だった時代と比べ、現代の若手社員は「この会社で一生働く」という前提がなくなったことで、短期的にも長期的にもキャリア選択の自由度が高まった一方、その分だけ迷いや不安も大きくなっています。また、社会人としての経験が浅いため、業界全体の動向や将来性を見極める目も養われていないことが多く、意思決定の難しさをさらに増幅させています。

自分自身のキャリアを主体的に構築する必要性が高まる一方で、そのためのスキルや知識、経験が十分でないというジレンマを多くの若手社員が抱えているのが現状です。この「見通しの立てにくさ」は個人の問題というよりも、現代社会の構造的な変化が生み出した共通課題と言えるでしょう。

さらに、日本特有の新卒一括採用システムも、この状況に影響を与えています。新卒時の就職活動が将来のキャリアを大きく左右するという社会構造が、若いうちから強い焦りや不安を生み出しています。「失敗できない」という強迫観念が、かえって慎重すぎる選択や、周囲の評価を過度に気にした意思決定につながることもあります。実際、就職活動中の大学生の約65%が「将来のキャリアに関する不安」を抱えているという調査結果もあります。

かつての日本企業では、「入社して定年まで」という前提のもと、年功序列に基づいた比較的予測可能なキャリアパスがありました。しかし現在は、経済環境の変化や働き方の多様化により、一つの企業に長く勤め続けるという前提自体が揺らいでいます。また、AIやロボティクスなどの技術革新により、今後10年で多くの職種が大きく変化すると予測されています。世界経済フォーラムの調査によれば、2025年までに8500万の仕事が自動化によって失われる一方で、9700万の新しい仕事が創出されるとされています。つまり、消える仕事もあれば新たに生まれる仕事もあるという、大きな転換期にあるのです。

さらに、リモートワークの普及やグローバル化の進展により、「どこで」「誰と」「どのように」働くかという選択肢も格段に増えています。このような環境変化は、チャンスである一方で、若手社員にとっては「正解がわからない」状況を生み出しています。新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに急速に進んだリモートワークは、地方在住でも都市部の企業で働けるという可能性を開いた反面、オフィスでの対面コミュニケーションを通じた学びの機会が減少するというトレードオフも生じています。実際、2020年以降の調査では、リモートワーク経験のある新入社員の約45%が「先輩社員からの学びや指導が不足している」と感じており、キャリア形成に必要なロールモデルの観察や暗黙知の獲得が難しくなっているという課題も浮かび上がっています。

業界の境界線も曖昧になってきており、かつては異なる業界だった企業が競合関係になることも珍しくありません。例えば、自動車メーカーとIT企業がモビリティサービスで競合するなど、業界の定義そのものが変化しています。このような状況では、「この業界に入れば安泰」という考え方が通用しなくなっています。従来は別々だった金融とテクノロジーが融合した「フィンテック」や、小売りとテクノロジーが融合した「リテールテック」など、新たな領域が次々と生まれており、5年前には存在しなかった職種や役割が急速に重要性を増しています。こうした変化の速さにより、「今学ぶべきこと」の判断も難しくなっているのです。

また、日本企業の人事制度も変革期にあります。メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への移行が進む中、「何ができるか」「どんな価値を提供できるか」がキャリア形成において重要になってきています。自分のスキルや強みを明確に認識し、それを活かせる場所を自ら見つけていく力が求められるようになっているのです。日本経済団体連合会の調査によれば、大手企業の約60%が「今後5年以内にジョブ型雇用の要素を取り入れる予定」と回答しており、この流れは今後も加速すると予想されます。ジョブ型雇用では、職務内容が明確に定義され、その役割に必要なスキルや経験を持つ人材が評価される傾向が強まります。これは、転職市場での競争力を維持するために、常に自分のスキルや専門性を磨き続ける必要性を示唆しています。

加えて、日本社会の高齢化も若年層のキャリア形成に影響を与えています。「人生100年時代」と言われる中で、かつてのような「20〜60歳まで働き、その後は引退」という単線的なライフコースが通用しなくなってきています。日本国内においても、65歳以上の就業率は年々上昇しており、2021年には約25%に達しています。このような長寿化社会では、60歳や65歳で定年を迎えた後も、10年、20年と働き続ける可能性を視野に入れたキャリア設計が必要になります。つまり、若いうちから「人生後半の働き方」も含めた長期的視点でキャリアを考える必要があるのです。

さらに、グローバル化の進展も見逃せない要因です。日本企業の海外展開や外資系企業の日本進出により、国際的な競争環境の中でキャリアを形成していく必要性が高まっています。語学力やクロスカルチャーコミュニケーション能力、グローバルな視点など、かつては一部の国際部門だけに求められていたスキルが、今では多くの職種で必要とされるようになっています。しかし、こうしたグローバル人材に求められる資質を身につけるための具体的な道筋が見えにくいという課題も存在します。

こうした背景から、「先が見えない」と感じるのは当然のことです。しかし重要なのは、不確実性を恐れるのではなく、変化に対応できる柔軟性と主体性を持ってキャリアを形成していく姿勢です。確かなのは、誰かが示す「正解」を待つよりも、自分自身でキャリアを考え、選択していく力が、これからの時代には一層重要になるということです。実際、キャリア理論においても、かつての「キャリア・アンカー」や「ライフサイクル理論」のような計画的・段階的なアプローチから、「カオス理論」や「プランド・ハプンスタンス理論」のような偶発性や柔軟性を重視するアプローチへと研究の重点が移行してきています。

キャリア・カオス理論では、キャリアは予測不可能な要素が絡み合う複雑系として捉えられ、完全な計画立案よりも「機会への備え」や「環境変化への適応力」が重視されます。また、プランド・ハプンスタンス理論(計画された偶発性理論)では、キャリアにおける予期せぬ出来事や偶然の出会いを積極的に活用する姿勢が推奨されています。これらの理論が示唆するのは、不確実性を前提とした新たなキャリア観の必要性です。

また、経営学者のマーガレット・ヘファーナンが「Uncharted: How to Map the Future」で指摘するように、不確実な時代においては「正確な予測」よりも「変化への適応力」が重要になります。彼女は、未来予測の精度を高めることよりも、様々なシナリオに対応できる「レジリエンス(回復力)」を築くことの価値を強調しています。このような視点は、キャリア形成においても重要な示唆を与えてくれます。

実は、見通しが立たないことは必ずしもネガティブなことではありません。計画通りに進まないからこそ、思いがけない出会いや経験が生まれ、新たな可能性が開けることもあります。大切なのは、目の前のことに真剣に取り組みながらも、常に視野を広く持ち、様々な可能性に対してオープンな姿勢を保つことではないでしょうか。キャリアの専門家であるスタンフォード大学のビル・バーネット教授とデイブ・エヴァンス教授は著書「Designing Your Life」の中で、「人生やキャリアは設計するもの」という考え方を提唱しています。完璧な計画を立てるのではなく、実験と反復を通じて、自分に合った道を探索していくという考え方は、不確実性の高い現代社会におけるキャリア形成の一つの指針となるかもしれません。

彼らの提唱する「デザイン思考」をキャリアに応用すると、以下のようなアプローチが考えられます:

  1. 共感と理解:自分自身の価値観、強み、興味を深く理解する
  2. 問題定義:「本当の問題」は何かを特定する(例:「安定した仕事が欲しい」ではなく「意味を感じられる仕事がしたい」など)
  3. アイデア創出:可能な選択肢を幅広く考える(固定観念にとらわれない)
  4. プロトタイピング:小さな実験を通じて可能性を探る(副業、ボランティア、短期プロジェクトなど)
  5. テスト:実験から学び、次のステップを調整する

このような反復的なプロセスを通じて、自分に合ったキャリアを「設計」していくというアプローチは、明確な見通しがない中でも着実に前進するための実践的な方法と言えるでしょう。

また、心理学的な視点からも、不確実性を受け入れることの重要性が指摘されています。「耐性不確実性(Tolerance for Ambiguity)」と呼ばれる、曖昧な状況や不確かな未来に対処する能力は、変化の激しい現代社会での心理的健康や成功に関わる重要な要素として研究されています。見通しが立たないことにストレスを感じるのは自然なことですが、それを恐れるのではなく、「今できることに集中し、変化に適応する力を養う」という姿勢が、結果的には長期的なキャリア形成にプラスに働くことが示唆されています。

さらに、認知心理学の分野では、「認知的柔軟性(Cognitive Flexibility)」という概念があります。これは、状況の変化に応じて思考パターンを切り替える能力を指します。キャリアにおいては、固定的な目標や計画に固執するのではなく、新たな情報や環境変化に応じて柔軟に方向転換できる能力が、不確実性に対処する上で重要になります。例えば、当初は営業職を志望していたが、実際に働いてみて自分の強みがマーケティングにあることに気づき、キャリア方向を調整するといった柔軟性です。

キャリアの見通しが立てにくい時代だからこそ、以下のようなアプローチが有効かもしれません:

  • 短期的な目標設定:5年後、10年後ではなく、まずは1年後の自分をイメージし、そこに向けた小さな一歩を踏み出す。長期的な計画が立てにくい環境では、近い将来に焦点を当て、達成可能な目標を設定することで、着実に前進することができます。「アジャイル・キャリア開発」と呼ばれるこのアプローチは、IT開発で用いられる「アジャイル手法」にヒントを得たものです。具体的には、3〜6ヶ月単位の「スプリント」で自己成長の目標を設定し、定期的に振り返りと修正を行います。例えば、「半年間で特定のスキルを身につける」「次の四半期で新しいプロジェクトに挑戦する」といった形で、段階的に成長していく方法です。
  • 複線的なキャリア展望:一つの道だけでなく、複数の可能性を並行して考えておく。「Plan B」や「サイドプロジェクト」を持つことで、主軸のキャリアに何かあった場合でも柔軟に対応できるようになります。また、複数の選択肢を持つことで、急な環境変化にも適応しやすくなります。例えば、本業では営業職として働きながら、休日にはウェブデザインのスキルを磨く、といった具合に、複数の専門領域を持つことで、キャリアの選択肢を広げていくアプローチです。実際、近年では「複業」や「パラレルキャリア」という考え方も広がっており、一つの仕事だけに依存しないキャリア戦略の重要性が認識されています。
  • スキルの棚卸しと強化:どんな環境でも通用する自分の強みを見極め、意識的に磨いていく。特定の会社や業界に依存しない「ポータブルスキル」を身につけることで、環境が変わっても価値を発揮できる人材になることができます。例えば、論理的思考力、コミュニケーション力、問題解決能力などは、どのような職種でも求められる普遍的なスキルです。近年注目されている「Tシェイプ型人材」(一つの専門領域を深く持ちつつ、関連する多様な領域にも幅広い知識を有する人材)を目指すことも、変化の激しい時代における有効な戦略と言えるでしょう。リンクトインのレポートによれば、採用担当者の75%以上が、専門知識だけでなく「ソフトスキル」を重視すると回答しており、状況や環境に左右されにくいこうしたスキルの重要性が高まっています。
  • ネットワーキング:様々な職種や立場の人との対話を通じて、キャリアの多様な選択肢を知る。社内外のネットワークは、新たな機会や情報の源となります。特に、自分とは異なる経験や視点を持つ人との対話は、自分一人では思いつかないキャリアの可能性を示してくれることがあります。意識的に異なる業界の人との接点を持つことも有効です。人事コンサルタントによれば、転職やキャリアチェンジの約65%は人的ネットワークを通じて実現しているとされ、「見えない求人市場」へのアクセスにおいてネットワークの価値は計り知れません。実際の方法としては、業界イベントへの参加、オンラインコミュニティへの積極的な関与、定期的な勉強会の開催などが挙げられます。
  • 成長マインドセットの育成:固定的な能力観ではなく、努力次第で能力は成長するという考え方を持つことで、新しい挑戦や変化を恐れない姿勢を養うことができます。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック教授が提唱するこの概念は、不確実性の高い環境での心理的レジリエンスを高めることが研究で示されています。「失敗は成長の機会」と捉え、新しいことへの挑戦を恐れない姿勢が、変化の激しい環境では特に重要です。具体的には、「まだできない」ではなく「まだできるようになっていない」という言い回しを意識的に使うなど、自分の可能性を信じる言語習慣を身につけることも効果的です。
  • 定期的な自己省察と修正:半年に一度など、定期的に自分のキャリアや目標を振り返り、必要に応じて軌道修正を行う習慣をつけることで、環境変化に柔軟に対応できるようになります。「何のために働くのか」「何に価値を感じるのか」といった本質的な問いを自分に投げかけることも重要です。例えば、四半期ごとに「この3ヶ月で学んだこと」「次の3ヶ月で挑戦したいこと」「現在の仕事で満足している点・不満を感じている点」などを書き出し、自分の方向性を確認するといった実践が考えられます。また、信頼できる同僚やメンターとこうした振り返りを共有することで、より客観的な視点を得ることもできるでしょう。

これらのアプローチは、不確実性を前提としながらも、自分らしいキャリアを構築していくための道筋を示してくれるものです。完璧な計画がなくても、一歩一歩着実に前進し、経験から学び、必要に応じて方向を調整していくことで、結果的には充実したキャリアを築いていくことができるでしょう。キャリアの見通しが立てにくいことを嘆くのではなく、それを現代社会の特性として受け入れ、柔軟かつ主体的に対応していく姿勢が求められています。

最後に強調しておきたいのは、キャリアの「成功」は個人によって大きく異なるという点です。従来の出世や昇進だけでなく、仕事と私生活のバランス、社会的意義、自己成長など、様々な価値観に基づいた多様な「成功」の形があります。重要なのは、他者の基準ではなく、自分自身の価値観に基づいてキャリアを考えることです。見通しが立てにくい時代だからこそ、「自分にとって何が大切か」という内的な羅針盤を持つことが、持続可能なキャリア形成の鍵となるのではないでしょうか。

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