|

高等教育機関におけるインサイト力育成の革新

Views: 0

現代社会の複雑化する課題に対応するため、大学などの高等教育機関では従来の知識伝達型教育を超えた、真のインサイト力を育む教育モデルへの転換が求められています。グローバル化、技術革新、社会構造の変化が急速に進む現代において、単なる知識の蓄積ではなく、複雑な問題を多角的に分析し、創造的な解決策を導き出せる人材の育成が喫緊の課題となっています。知識爆発の時代において、情報へのアクセスそのものよりも、その情報をいかに解釈し、統合し、新たな価値を創造できるかが重要となっています。専門知識の深化と同時に、分野を超えた横断的思考力、異なる文脈における知識の転用能力、そして根源的な問いを立てる力が、これからの社会で求められる「インサイト力」の核心と言えるでしょう。

このような背景から、世界各国の先進的な高等教育機関では、インサイト力を中核とした教育改革が進められています。米国のスタンフォード大学やMIT、欧州のデルフト工科大学、アジアのシンガポール国立大学など、世界トップレベルの教育機関では、従来の学問分野の枠組みを超えた新たな教育プログラムが次々と開発・実施されています。こうした機関に共通するのは、「何を教えるか」だけでなく「どのように学ぶか」を重視し、学生自身の探究心と創造性を刺激する学習環境の設計に力を入れていることです。特に注目すべきは、単に革新的な個別授業を提供するだけでなく、カリキュラム全体を通じた体系的な能力開発と、大学の組織構造そのものの変革に取り組んでいる点です。以下に、その具体的なアプローチと実践例を示します。

学際的カリキュラムの構築

専門分野の壁を越えた学びを促進し、多角的な視点から問題にアプローチする能力を養います。例えば、工学と哲学、芸術と科学などを融合させた授業を提供します。このような学際的アプローチは、単に異なる分野の知識を併せ持つだけでなく、それぞれの分野特有の思考法や問題設定の仕方、検証方法などを理解し、状況に応じて最適な方法を選択・統合できる柔軟な思考力を育みます。

具体的な事例として、「テクノロジーと倫理」というコースでは、AIの発展が社会に与える影響を技術的側面と哲学的側面の両方から考察します。このコースでは、機械学習アルゴリズムの仕組みを理解するための数学的基礎と並行して、公平性や透明性、プライバシーといった倫理的概念を学び、具体的なAIシステムの設計における倫理的判断について討議します。例えば、顔認識技術の開発と実装において、技術的精度の向上と同時に、人種や性別による認識精度の偏りという倫理的問題をどう解決するかといった課題に取り組みます。学生はチームで実際のAIシステムを開発しながら、各開発段階で倫理的アセスメントを行う実習を通じて、技術と倫理の不可分な関係を体験的に学びます。

また、「デザイン思考と生物学」では、自然界の構造やシステムからイノベーションのヒントを得る生体模倣(バイオミミクリー)の手法を学びます。このコースでは、生物学者とデザイナーがチームティーチングを行い、自然の進化プロセスと人間の創造プロセスの類似点と相違点を探りながら、持続可能なデザインソリューションを生み出す方法論を実践的に修得します。学生たちは実際のフィールドワークを通じて自然システムを観察・分析し、そこから得られた原理を応用して社会課題の解決策をプロトタイピングします。たとえば、ハチの巣の構造原理を応用した省資源建築材や、サメ肌の表面構造を模倣した抗菌素材の開発など、生物学的知見とエンジニアリングを融合させた革新的プロジェクトに取り組みます。

このような学際的アプローチは、従来の単一分野では見えなかった新たな関連性や解決策を発見する能力を高めます。特に重要なのは、異なる学問分野の「思考法」そのものを学ぶことであり、例えば理系学生が人文学的な問いの立て方を、文系学生が科学的検証手法を学ぶことで、より複合的な思考能力を養うことができます。ブルックス・キャモン博士の研究によれば、異分野の思考法を習得した学生は、創造的問題解決能力が平均40%向上し、複雑な問題に対して革新的なアプローチを取る確率が有意に高くなることが示されています。

カリキュラム設計においては、単に異なる分野の授業を並べるのではなく、共通のテーマや問題設定のもとで複数の分野からのアプローチを経験できるよう工夫することが重要です。例えば「持続可能性」をテーマにした統合科目では、環境科学、経済学、社会学、工学などの視点から多面的に問題を検討し、学生自身が分野間の関連性を見出していく学習プロセスが設計されています。こうした統合的学習では、個々の専門知識の獲得だけでなく、知識間のつながりを発見し、新たな文脈で応用する「知識の転移」能力の開発に重点が置かれています。また、複数教員によるチームティーチングや、異なる専攻の学生によるコラボレーションなど、授業運営の形態そのものも複合的な視点の統合を促す設計となっています。

学際的カリキュラムの成功には、大学の組織構造そのものの柔軟化が不可欠です。先進的な大学では、伝統的な学部・学科の枠組みを維持しつつも、それらを横断するマトリックス型のプログラムや研究センターを設置し、教員と学生が分野を超えて協働できる環境を整備しています。例えば、アリゾナ州立大学の「学際的科学技術センター」では、持続可能性、バイオデザイン、複雑系科学などをテーマに、多様な専門分野の教員が共同研究と教育に取り組んでいます。このような組織的イノベーションと学際的カリキュラムの連動が、真のインサイト力育成の基盤となります。

産学連携プロジェクトの拡充

実社会の複雑な課題に取り組む機会を通じて、理論と実践の橋渡しを行い、真に価値あるインサイトを生み出す訓練を行います。従来の教室内での学習と異なり、明確な「正解」が存在しない現実の問題に挑戦することで、不確実性の中での意思決定能力や、制約条件を創造的に克服する力が培われます。また、様々なステークホルダーとの協働を通じて、異なる価値観や優先事項の調整という、実社会で不可欠なスキルも身につけることができます。

例えば、地域の環境問題に取り組むプロジェクトでは、学生たちが地元企業や行政機関と協力して実データを収集・分析し、実現可能な解決策を提案します。具体的には、都市部の水質汚染問題に関するプロジェクトでは、学生チームが地元の河川管理事務所と連携し、水質データの長期的モニタリングを実施します。化学や生物学の知識を活用したサンプル分析だけでなく、GISを用いた汚染源の特定、地域住民へのインタビュー調査による生活実態の把握、経済学的アプローチによる対策費用の分析など、多角的な調査を行います。さらに、収集したデータを基に汚染削減のための具体的な政策提言を行い、地域行政に提案します。このプロセスでは、科学的データの解釈と社会実装の橋渡しという、現代社会で重要とされるトランスレーショナル・リサーチの手法を実践的に学ぶことができます。

このプロセスでは、教室で学んだ理論が実世界でどのように適用されるかを体験するとともに、様々なステークホルダーの視点を理解することの重要性を学びます。例えば、環境保全に関するプロジェクトでは、科学的に最適な解決策と地域社会の文化的・経済的現実との間のバランスを取る必要があることを実感します。また、理論と実践の往復の中で、教科書的知識の限界に気づき、具体的文脈に応じた知識の再構築を行う能力も身につきます。

こうした経験は、単なる知識の適用を超えた、状況の複雑性を理解し、創造的なインサイトを導き出す能力を培います。さらに、実際の成果が社会に還元されることで、学びの意義と効力感を実感できます。教育心理学研究によれば、こうした「有意義感(センス・オブ・パーパス)」を伴う学習は、内発的動機づけを高め、より深い理解と長期的な学習効果をもたらすことが分かっています。

産学連携の効果的な実施には、単発的なプロジェクトではなく、継続的な関係構築が重要です。例えば、一部の先進的な大学では、特定の地域社会や産業界との長期的なパートナーシップを構築し、複数年にわたるプロジェクトベースの学習を可能にしています。オレゴン州立大学の「持続可能なコミュニティ・イニシアチブ」では、州内の複数の自治体と10年契約を結び、都市計画から廃棄物管理、公共交通システムまで、様々な分野の学生プロジェクトが継続的に実施されています。このような長期的関係により、一つのプロジェクトの成果を次のプロジェクトが引き継ぎ、発展させていくことが可能になり、より大きな社会的インパクトと深い学習経験の両方を実現しています。

これにより、学生は問題の発見から解決策の実装、その評価と改善までの一連のプロセスを経験することができます。単なるアイデア提案で終わるのではなく、実際の実装とその結果の検証までを含む完全なプロジェクトサイクルを経験することで、理想と現実のギャップを埋める実践的能力や、予期せぬ問題に対応する柔軟性を身につけることができます。また、プロジェクトの成功と失敗の両方から学ぶ姿勢を培い、失敗を次の改善につなげる「成長マインドセット」の醸成にも効果的です。

また、異なる専攻の学生がチームを組んで取り組むことで、多様な専門性を活かした協働の経験も得られます。例えば、医療機器の開発プロジェクトでは、工学系学生が技術的側面を、医学系学生が臨床的ニーズを、経営学系学生がビジネスモデルを担当するなど、実社会で求められる分野横断的な協働の形を学内で実践することが可能です。こうしたチームワークを通じて、専門知識の共有方法、異なる「専門言語」間の翻訳能力、多様な視点を統合するリーダーシップなど、複雑な問題解決に不可欠な対人スキルも同時に養われます。

産学連携教育の導入に伴う課題としては、大学のアカデミックな探究と産業界の実用的ニーズのバランス、知的財産権の扱い、教育目標と企業目標の調整などが挙げられます。これらの課題に対処するため、先進的な大学では産学連携教育のためのガイドラインや倫理的フレームワークを整備し、教育的価値を損なうことなく実社会との有意義な連携を実現しています。例えば、マサチューセッツ工科大学では「責任ある産学パートナーシップ」プログラムを通じて、教育的価値を最優先としながらも産業界との健全な協力関係を構築するフレームワークを開発し、他大学にもモデルを提供しています。

国際共同研究・学習の推進

異なる文化的背景を持つ学生や研究者との協働を通じて、自らの前提や思考の枠組みを認識し、より広い視野を獲得します。グローバル化が進む現代において、文化的多様性を理解し、異なる価値観や思考法を尊重しながら協働する能力は、あらゆる分野で不可欠のスキルとなっています。国際的な学習環境は、単に語学力や異文化理解を深めるだけでなく、自分自身の思考の文化的制約に気づき、それを超えた視点を獲得する貴重な機会となります。

オンライン技術を活用した国際バーチャル交流プログラム(COIL: Collaborative Online International Learning)や、実際の短期留学プログラムなどを通じて、グローバルな視点を養います。例えば、「世界の水問題」をテーマにした国際共同プロジェクトでは、各国の学生がそれぞれの地域特有の水資源管理の課題と解決策を共有し、文化的・地理的文脈の違いによる多様な視点を学びます。日本の学生にとっては洪水対策が主要関心事である一方、アフリカの学生にとっては水不足への対応が喫緊の課題であるなど、同じ「水問題」でも文脈によって意味合いが大きく異なることを実感し、問題設定そのものの文化的相対性を理解することができます。

COILプログラムの具体例として、日本の東京大学とアメリカのコロンビア大学の共同授業「グローバル環境政策」では、学生たちはオンラインプラットフォームを通じて混合チームを組み、各国の環境政策の比較分析と提言作成に取り組みます。週に1回のライブセッションと、非同期の共同作業を組み合わせたブレンド型学習により、時差の問題を克服しながら持続的な協働が可能になっています。最終的には、国連環境計画の実際のフレームワークに沿った政策提言を共同で作成し、専門家パネルからフィードバックを受けるという実践的なプロセスを通じて、国際的な環境ガバナンスの複雑性と異文化間協働の経験を積みます。

このような国際的な協働経験は、自分自身が無意識に持っている文化的バイアスや思考の癖に気づく機会となり、より柔軟で多面的な思考力を育みます。例えば、問題解決アプローチにおける個人主義と集団主義の違い、直線的思考と循環的思考の違い、リスク認識の文化差など、普段は当たり前と思っている思考様式が実は文化的に形成されたものであることを認識することで、状況に応じて最適な思考法を選択できる「認知的柔軟性」が高まります。

また、グローバル社会で求められるコミュニケーション能力や異文化理解力も同時に向上します。言語の違いを超えた効果的なコミュニケーション戦略、文化的背景による解釈の違いへの配慮、国際チームにおける役割分担と調整など、グローバルな環境で働くために不可欠なスキルセットを実践的に習得できます。特に重要なのは、単なる文化的差異の知識ではなく、異なる文化的文脈の間を橋渡しする「文化的仲介者」としての能力であり、これはまさに異なる専門分野や思考様式を統合して新たなインサイトを生み出す能力と共通しています。

国際協働学習の効果を最大化するためには、単なる交流に終わらせない工夫が必要です。例えば、明確な学習目標と成果物を設定し、異文化間の対話そのものをメタ的に振り返る時間を設けることで、表面的な交流を超えた深い学びを促進できます。多くの国際プログラムでは、プロジェクトの進行と並行して「メタ学習ジャーナル」を記録し、文化的差異に起因する誤解や対立、その解決プロセスなどを分析することで、異文化間のダイナミクスについての理解を深めています。

また、言語や時差などの障壁を乗り越えるための効果的なコミュニケーション戦略を学ぶ機会としても活用できます。例えば、非母語話者との効果的なコミュニケーション法、非同期コラボレーションツールの活用法、文化的文脈に配慮した表現方法など、グローバル環境での協働に不可欠なスキルを実践的に身につけることができます。こうした経験は、多様性が増す現代社会における重要な資質となるだけでなく、異なる視点や考え方を統合して新たな価値を創造するインサイト力の基盤となります。

さらに、学生が主体となる国際研究プロジェクトでは、共同で研究計画を立て、データ収集と分析を行い、成果を国際学会やジャーナルで発表するまでの過程を経験することで、グローバルな学術コミュニティへの参加意識と貢献意欲を高めることができます。例えば、アジア太平洋地域の10大学による「持続可能な都市」共同研究プロジェクトでは、各都市の学生チームが共通の調査方法を用いて都市の持続可能性指標を測定し、地域比較分析を行います。共通のデータ収集プロトコルを使用しながらも、各地域の文化的・社会的文脈を反映した解釈と提言を行うことで、普遍性と特殊性のバランスを考慮した研究アプローチを学びます。

世界各国の学生と共同研究を行うことで、問題設定や研究手法の多様性に触れ、自らの研究アプローチを相対化する視点も身につきます。例えば、西洋諸国では個別変数の因果関係を解明する還元主義的アプローチが主流である一方、東アジアでは全体的なシステムの相互関係を重視する統合的アプローチが好まれるなど、研究パラダイムの文化的差異を理解することで、研究手法の選択肢を広げ、状況に応じた最適なアプローチを取る判断力を養うことができます。

メタ認知能力の強化

自らの思考プロセスを振り返り、分析する習慣を身につけることで、より深いインサイトを得るための思考法を体系的に学びます。メタ認知とは「思考について考える」能力であり、自分自身の認知プロセスをモニタリングし、制御する能力を指します。高度なメタ認知能力を持つ学習者は、自分の理解度を正確に評価し、効果的な学習戦略を選択し、知識の転移を促進することができます。インサイト力の育成において、このメタ認知は単なる学習技術ではなく、創造的思考と問題解決の中核となる能力です。

具体的には、学習ジャーナルの作成やリフレクションセッションを通じて、「どのように考えたか」「なぜそのような結論に至ったか」を意識的に振り返ります。例えば、プロジェクト学習の各段階で「思考プロセス日誌」を記録し、情報収集の方法、選択した分析フレームワークの理由、行き詰まりを経験した時の対処法、思考の転換点となった出来事などを詳細に文書化します。これらの記録を定期的にレビューし、パターンや傾向を分析することで、自分自身の思考の癖や強み、改善すべき点などへの気づきを深めることができます。

スタンフォード大学の「デザイン思考科目」では、すべてのプロジェクトにおいて「思考プロセスポートフォリオ」の作成が義務付けられています。これは最終成果物だけでなく、そこに至るまでの試行錯誤のプロセス全体を記録し、特に「失敗」や「思考の転換点」に焦点を当てて振り返るものです。教員やピアからのフィードバックも、最終成果ではなくこの思考プロセスに対して行われるため、学生は自然とメタ認知能力を高める習慣を身につけていきます。

また、思考の可視化ツールやマインドマッピングなどの技法を活用し、自分の思考パターンや認知バイアスを客観的に観察する訓練を行います。例えば、複雑な問題に取り組む際、まず自分の頭の中にある考えをマインドマップとして外部化し、思考の構造や偏りを視覚的に確認します。さらに、異なる思考フレームワーク(例:SWOT分析、シックスハット思考法、PMIチャートなど)を意識的に適用し、同じ問題を複数の視点から検討する訓練を通じて、状況に応じた思考法の選択肢を増やしていきます。

認知バイアス・ワークショップでは、確証バイアス(自分の既存の信念を支持する情報を優先的に受け入れる傾向)、アンカリング効果(最初に得た情報に過度に影響される傾向)、集団思考(グループの調和を維持するために批判的思考を抑制する傾向)など、人間が陥りやすい思考の罠について学び、それらを回避するための具体的戦略を実践します。例えば、意図的に自分の仮説と反対の証拠を探す「仮説反証法」の訓練や、問題解決において複数の代替案を必ず検討する「強制選択肢比較法」などの技法を習得します。これらの訓練は、単に認知バイアスの知識を得るだけでなく、実際の思考場面でバイアスを検出し、修正する能力を養うことを目指しています。

このメタ認知能力の強化は、単に「正解」を得ることではなく、問題の本質を見抜き、新たな問いを立て、自分自身の思考を発展させていく力となります。高等教育の文脈では、特に「分野特有の思考法」を意識的に習得することが重要です。例えば、歴史学的思考法(一次資料の批判的解釈、文脈の重視)、科学的思考法(仮説検証、変数制御)、デザイン思考(共感的理解、反復的プロトタイピング)など、各学問分野に特有の思考アプローチを明示的に学び、状況に応じて適切に使い分ける能力を養います。

さらに、他者との対話を通じて自分の考えを言語化し、フィードバックを受けることで、より洗練された思考へと発展させることができます。「思考ペア」や「批判的友人グループ」などの取り組みでは、学習者同士が互いの思考プロセスについて質問し合い、建設的なフィードバックを提供し合うことで、集合的なメタ認知を促進します。この過程で重要なのは、単に「何を考えたか」ではなく「どのように考えたか」に焦点を当てた対話を行うことです。例えば「なぜその情報源を選んだのか」「どのような代替案を検討したか」「どの時点で思考の方向性を転換したか」といった問いかけを通じて、思考の深層にある判断基準や価値観を明らかにしていきます。

メタ認知を促進する教育実践には、様々な方法があります。例えば、「思考ノート」を活用した授業では、学生が内容を学ぶだけでなく、自分がどのように理解したか、どこで混乱したか、どのような疑問が生まれたかを記録し、定期的に振り返ります。これにより、単なる知識の受動的な受容ではなく、自らの理解構築プロセスに積極的に関与する「能動的学習者」としてのマインドセットが育まれます。

また、「認知バイアス・ワークショップ」では、自分たちが陥りやすい思考の罠(確証バイアス、集団思考など)を具体的な事例を通じて学び、それを回避するための思考法を実践的に身につけます。例えば、自分の仮説を意図的に反証する訓練や、意思決定前に必ず複数の視点から検討する習慣づけなど、認知バイアスを克服するための具体的な戦略を実践的に身につけていきます。こうした訓練は、特に不確実性の高い状況での判断や、複雑な社会問題への対応など、単純な答えのない問題に取り組む際に威力を発揮します。

高度なメタ認知能力の育成には、教員自身がモデルとなることも重要です。授業中に教員が自らの思考プロセスを「声に出して考える」(シンク・アラウド)実演を行ったり、専門家がある問題にどのようにアプローチするかの実例を示したりすることで、暗黙知として存在する思考のプロセスや戦略を可視化し、学生が学べるようにします。例えば、複雑なケーススタディを分析する際に、教員が「まず私はこの情報に注目しました。なぜなら…」「ここで私は最初の仮説を立てましたが、次のデータを見てその考えを修正しました」など、リアルタイムで自分の思考プロセスを言語化することで、専門家の思考の流れを可視化します。

また、ペアでの思考の言語化や、小グループでの相互フィードバックなど、社会的相互作用を通じたメタ認知の発達も促進します。「批判的思考パートナー」制度では、学生がペアとなり、互いの論文や研究計画について、内容だけでなく思考プロセスに焦点を当てたフィードバックを行います。「どのような情報源を使ったか」「どのような代替的解釈を検討したか」「どのような前提に基づいて結論を導いたか」など、思考の背後にある判断基準や価値観を掘り下げる対話を通じて、互いのメタ認知能力を高め合います。

このようなメタ認知能力の体系的強化は、単に学術的課題への対応だけでなく、変化の激しい現代社会で生涯にわたって学び続け、常に自らの思考を更新していく能力の基礎となります。自己の認知プロセスを理解し、制御する能力は、どのような新しい課題に直面しても、適切な思考戦略を選択し、効果的に問題解決に取り組むための「学び方を学ぶ」メタスキルとして、これからの高等教育において最も重要な成果の一つと言えるでしょう。

これらの革新的なアプローチを統合することで、高等教育は単なる知識の伝達を超え、複雑な現代社会における真のインサイト力を持った人材の育成へと進化していくことができます。特に重要なのは、これらの取り組みが個別の施策としてではなく、有機的に連携し、学生の成長過程全体をサポートする教育エコシステムとして機能することです。例えば、学際的カリキュラムで得た多角的視点を産学連携プロジェクトで実践し、その過程をメタ認知的に振り返りながら、国際的な文脈での応用可能性を探るといった、複合的かつ継続的な学びのサイクルを設計することが理想的です。

また、こうした教育革新を実現するためには、学習空間の再設計も重要な要素となります。従来の一方向的な講義に適した教室ではなく、柔軟な協働作業や実験的な取り組みを促進する「アクティブラーニングスペース」の設計が進められています。移動可能な家具、複数のディスプレイ、デジタル・フィジカルを融合したハイブリッド環境など、新しい学びのスタイルに適した空間が、革新的教育実践を支える基盤となります。シンガポール工科デザイン大学では、全学的に「学習の場としてのキャンパス」という概念を導入し、教室内外のあらゆる空間が協働的な学びと創造的活動を促進するよう設計されています。廊下や中庭にもホワイトボードやプロジェクターが設置され、自発的なグループワークが可能な環境が整備されているほか、「プロトタイピングスペース」と呼ばれる工房では24時間、学生がアイデアを形にする作業に取り組めるようになっています。

さらに、テクノロジーの戦略的活用も新しい教育モデルの重要な要素です。VRやARを活用した没入型学習体験、AIを活用した個別化学習支援、国際協働を促進するデジタルプラットフォームなど、テクノロジーは単なる効率化ツールではなく、これまで不可能だった学習体験を可能にする触媒としての役割を担っています。例えば、科学教育においては、複雑な分子構造をVRで立体的に操作しながら学ぶことで抽象概念の理解が促進され、建築教育では設計案をARで実際の環境に投影して検証することで、理論と実践の架け橋となっています。また、同期・非同期のコミュニケーションを組み合わせたブレンド型国際協働学習は、異なる時間帯や文化的背景を持つ学生間の持続的な対話と協働を可能にしています。

こうした教育革新を成功させるためには、大学の組織構造や評価システムの変革も不可欠です。従来の学部・学科の垣根を越えた柔軟なプログラム運営、教員の教育革新を評価・支援する体制、長期的な教育効果を測定する新たな評価指標の開発などが課題となります。特に教員評価において、研究業績と同等に革新的教育実践を評価する仕組みの構築は、組織全体の教育文化変革の鍵となります。アリゾナ州立大学では「デザインフェロー」プログラムを通じて、教育イノベーションに取り組む教員に対する研究サバティカルと同等の支援制度を設け、教育開発を学術的活動として正当に評価する文化を醸成しています。

また、大学単体ではなく、産業界、地域社会、国際パートナーとの協力関係を戦略的に構築し、開かれた学びのエコシステムを形成することが、持続可能な教育革新の鍵となるでしょう。オープンイノベーションの概念を教育に適用し、多様なステークホルダーとの協創を通じて、常に社会の変化に対応し続ける動的な教育システムを構築することが求められています。例えば、デンマークのオールボー大学では「問題・プロジェクトベース学習」モデルを全学的に導入し、地域社会の実課題をカリキュラムの中核に据えることで、大学と社会の境界を流動的にし、相互に学び合う関係を構築しています。

インサイト力を中核とした教育革新は、単に学生の能力開発にとどまらず、高等教育機関自体の社会的役割の再定義にもつながります。知識生産の中心としてだけでなく、社会の複雑な課題解決に貢献する「知のハブ」として、大学が新たな価値を創造していくための基盤となるのです。従来の研究・教育・社会貢献という三つの使命を有機的に統合し、知識の創造・伝達・応用のサイクルを加速する「エンゲージド・ユニバーシティ」モデルへの転換が、これからの高等教育機関の進むべき方向と言えるでしょう。こうした変革を通じて、大学は単なる人材育成機関を超え、社会変革の触媒としての役割を果たしていくことが期待されています。

類似投稿