歴史的背景

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1173年

親鸞聖人誕生。平安時代末期、貴族社会から武家社会への転換期に生まれる。藤原氏の摂関政治が衰退し、源平合戦が勃発する激動の時代。既存の権力構造が崩壊する中で、新しい価値観を模索する必要に迫られていた

1207年

専修念仏の弾圧により流罪。師である法然と共に新しい仏教運動が既存の仏教界から激しい反発を受ける。この挫折体験が親鸞の思想形成に大きな影響を与え、権威への疑問と庶民への共感を深める契機となった

1212年〜

越後・関東での布教活動。農民や商人など一般庶民に向けて教えを広める。妻帯し、子をもうけながら布教する革新的なスタイルを確立。従来の出家中心の仏教から、在家の人々も救われる道を実践的に示した

1262年

親鸞聖人入滅。90歳という長寿を全うし、弟子たちによって教えが継承される。その教えは関東を中心に広がり、後の浄土真宗の基盤となる信仰共同体が形成されていく

1275年頃

唯円によって「歎異抄」が著される。親鸞の言葉と教えを記録し、師の教えが誤解されることを防ぐために編纂。親鸞の直弟子としての体験と洞察が込められた、後世への貴重な遺産となる

 鎌倉時代は、武士の台頭による社会構造の変化、相次ぐ災害や飢饉による不安定な社会情勢など、大きな変革期でした。1185年の源頼朝による鎌倉幕府成立は、千年続いた貴族中心の政治体制を根本的に変え、実力主義の武家政治へと転換させました。この社会変動は、現代のデジタル革命による産業構造の変化と多くの共通点を持っています。

 また、この時代は自然災害が頻発し、人々の生活は常に不安定でした。1180年の治承・寿永の乱(源平合戦)、1185年の大地震、1230年代の寛喜の飢饉など、予測不可能な危機が社会を襲いました。このような不確実性の高い環境は、現代のVUCA(Volatility、Uncertainty、Complexity、Ambiguity)時代と重なります。

 親鸞の思想は、「自力」による修行や善行ではなく、阿弥陀仏の「他力」による救済を説くものでした。これは当時の支配階級中心の価値観に対する革命的な視点であり、現代のビジネス界における既存の常識への挑戦と通じるものがあります。親鸞は、学問や修行に励むことのできない一般庶民にも救いの道があることを示し、これは現代の多様性・包摂性(D&I)の考え方の先駆けとも言えるでしょう。

 さらに重要なのは、親鸞が「悪人正機」という概念を通して、完璧でない人間、失敗を犯す人間こそが救済の対象であると説いたことです。これは現代の組織運営において、失敗から学び、心理的安全性を重視する文化づくりと深く関連しています。混迷の時代だからこそ生まれた親鸞の教えは、現代の不確実な時代を生きる私たちにも大きな示唆を与えてくれるのです。