植物や生き物との新しい出会い

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 私たちは毎日、何気なく道を歩き、ふと足元に目をやれば、そこに広がる小さな世界があります。道端には、名も知らぬ可憐な草花がそっと咲き、庭には、懸命に土を這う小さな虫たちが姿を見せます。けれど、私たちはつい、これらをひとまとめに「雑草」だとか「虫」と片付けてしまいがちですよね。そこに、深い意味や関心を抱くことは、あまりないかもしれません。しかし、もしその一つひとつに、ちゃんと息づく命があり、それぞれに与えられた名前があることを、あなたが知ったなら、どうでしょう。きっと、あなたの心の窓は少しばかり大きく開かれ、今まで気にも留めなかったものの美しさや、秘められた面白さに気づくことができるはずです。

 世界は、あなたの知る名前の数だけ、豊かになるのです。

 たとえば、いつもの散歩道。あなたが毎日通るその道の脇で、ひっそりと花を咲かせている、名も知らぬ小さな花に目を留めてみてください。多くの人にとって、それは「ただの草」として、背景の一部のように映るかもしれません。花の色や形は、記憶の片隅にも残らない、取るに足らない存在として通り過ぎてしまうことでしょう。けれども、もし誰かに「ねえ、この花、ホトケノザっていうんだよ。春になると、こんなに可愛らしいピンクの小さな花をたくさん咲かせるんだ。葉の形が、まるでお釈迦様が座る台座に似ていることから、その名がついたんだって」と、その名前と物語をそっと教えてもらったとしたら、その景色は一変するのではないでしょうか。

 途端に、その小さな花は、単なる「雑草」という枠には、もう決して収まらなくなります。名前を知ることで、ホトケノザにはホトケノザだけの物語が生まれ、私たちと同じように、この地球上で懸命に生きる「個別の命」として、そっとあなたの心に語りかけてくるような気がするものです。まるで、これまでぼんやりとしか見えていなかった絵に、鮮やかな色が塗られていくように、世界がくっきりと浮かび上がるのを感じるはずです。

 この「名前を知ることの魔法」は、植物だけの話ではありません。私たちの身の回りを取り巻く、あらゆる生き物たちにも、まったく同じように当てはまります。例えば、暖かな日差しに誘われて、あなたのベランダや庭に、そっとやってくる小さなハチの姿を想像してみてください。もし「ハチ」と聞くと、条件反射的に「刺されるかも」「ちょっと怖い」と、身構えてしまうとしたら、それも無理はありません。多くの場合、ハチは危険なものとして認識されているからです。しかし、もしあなたが「このハチはアシナガバチと言って、実はとてもおとなしい性格なんだ。危険を感じない限り、人には攻撃してこないよ。それに、庭の厄介な害虫たちを食べてくれる、私たち人間にとっても実はとても役立つ『益虫』なんだ」と、その真の姿と役割を知れば、きっとあなたのハチへの見方は、がらりと変わるでしょう。恐怖の対象だったものが、いつしか共生する隣人のように感じられるかもしれません。

 そう、それぞれの存在に与えられた名前を知るというのは、単なる知識の習得以上の意味を持つのです。それは、その対象に心を寄せ、理解するための、かけがえのない大切な第一歩。名前の向こう側には、その植物や生き物が持つ独自の特性、生き抜くための巧妙な生態、そして私たち人間や周囲の環境との、目には見えない奥深い関わり方まで、実に様々な情報がまるで細い糸のように複雑に繋がり、織りなされています。それはまるで、新しい友人と出会い、その人のことを少しずつ深く知っていく過程に似ていると思いませんか。名前を知ることで、好奇心が芽生え、もっと知りたいという探求心が湧いてくる。その連鎖が、世界への理解を深めてくれるのです。

 それぞれの草花が持つささやかな美しさや、一匹の虫が持つ逞しい個性、そしてその生き物たちが織りなす生命の多様性に気づくことで、やがてあなたの周りの景色は、これまで以上に彩り豊かで、躍動的なものになるでしょう。「雑草」という、私たちの都合で付けられた概念は、いつの間にか心の外から消え去っているかもしれません。そこにあるのは、どれもが精一杯に、そして誇り高く生きる「命」の、輝くばかりの姿なのです。自然が奏でる、静かなる生命のシンフォニーに耳を傾けることができるようになるでしょう。どうか、今日からそっと、足元に目を凝らし、身の回りの小さな命に、優しく目を向けてみてください。きっと、これまで気づかなかった、思いがけない素敵な発見や、心温まる感動が、あなたを待っているはずです。そして、その発見の一つ一つが、あなたの日常を、より豊かで意味のあるものに変えてくれるに違いありません。