勉強三態の過去:制度化された学習の歴史
Views: 0
私たちが普段何気なく使っている「勉強」という言葉。この響きを聞くと、どんなイメージが浮かびますか? 机に向かって黙々と教科書を広げる姿でしょうか、それとも試験のために暗記に励む姿でしょうか。実は、この「勉強」という学びの形が、どのようにして今のような姿になったのか、その歴史を紐解いてみると、意外な発見がたくさんあるんですよ。
遠い昔、まだ学校というものがなかった時代にも、もちろん人は様々なことを学んでいました。例えば、古代の文明では、優れた職人さんが自分の工房で若い弟子たちに、何年もの歳月をかけて手ずから技術や知識を伝えていましたよね。まるで家族のように寝食を共にしながら、木を削る音、粘土をこねる手触り、窯の熱といった五感を通して、身体で覚えるような学びがあったのです。また、文字の読み書きを専門とする「書記」(当時は特別な技能を持つ専門職でした)は、その複雑な技術を習得するために厳しい訓練を受けていたはずです。彼らの学びは、まさに生きるために、そして社会を維持するために不可欠な営みだったのです。しかし、これらはあくまで特定の個人や集団の中での学びでした。今の私たちが「勉強」と聞いて思い浮かべるような、「決められた時間割の中で、学校という場所でたくさんの子どもたちが一斉に同じ内容を学び、そして定期的にテストで評価される」といった、組織的で大規模な学習の仕組みが本格的に動き出したのは、意外と最近のこと、近代国家が作られるようになってからの話なんですね。
19世紀、世界は大きな転換期を迎えていました。そう、産業革命の時代です。蒸気機関が発明され、工場ではたくさんの機械が動くようになりました。すると、社会はそれまでとは全く違うタイプの人材を求めるようになったんです。決められた時間通りに出勤し、指示された通りに正確に作業をこなし、規律を守って協調性を持って働く…そんな、まるで機械の歯車の一部のように機能できる「均質な労働力」が必要不可欠になったわけです。この社会の変化に合わせて、多くの国で「義務教育」という、全ての子どもに教育を受けさせる制度が導入されることになりました。もちろん、その背景には「国民を育てる」という国家の強い意思もあったでしょう。この新しい教育システムのお手本になったのは、当時のドイツにあったプロイセンという国の教育モデルだと言われています。このプロイセン式の教育は、徹底した「規律」(社会のルールをきちんと守ること)や「従順」(目上の人の言うことを素直に聞くこと)、そして何よりも「国民全員が同じ知識を身につけること」を非常に大切にしていました。学校は、まるで大量生産を行う工場のように運営されるようになり、朝から晩まで決められた「時間割」があり、定期的に知識の習得度を測る「試験」が行われ、その結果によって「成績評価」が下されることで、学びが厳しく管理されていったのです。この時代における「勉強する人」とは、まさに国家や社会が定めたレールの上をきちんと、そして正確に進むことができる、そんな模範的な人物を指していたと言えるでしょう。少し窮屈な印象を受けますが、当時の社会の要請に応えるためには必要な仕組みだったのかもしれませんね。
さて、時代は移り変わって20世紀になると、社会の価値観や技術の発展に伴って、勉強の目的や方法論にも少しずつ変化の兆しが見え始めました。例えば、アメリカを中心に広がった「進歩主義教育運動」という考え方は、それまでの画一的な教育に疑問を投げかけました。彼らは「子どもたちは、ただ知識を詰め込むだけの存在じゃない!」と主張し、一人ひとりの「興味」や「創造性」(新しいものを生み出す力)を大切にしながら、実際に体験を通して学ぶことの重要性を説いたのです。なんだか、現在の「アクティブラーニング」のような考え方に通じるものがありますよね。しかし、その一方で、社会は常に効率や客観性を求める側面も持っていました。「標準化テスト」(全国どこにいても、みんなが同じ基準で評価される統一された試験)が教育現場に導入されるようになり、それによって個人の学力を比較する傾向が強まっていきました。また、「能力主義」(人の価値を、学力や仕事の能力だけで判断する考え方)という考え方が社会全体に浸透していく中で、勉強は単なる知識の習得だけでなく、熾烈な「競争の場」という側面を色濃く持つようになっていったのです。「勉強ができないと良い学校に行けない」「良い会社に入れない」といったプレッシャーは、私たち自身の経験としても、どこか心当たりのあるものかもしれません。この競争の中で、「勉強しない人」はしばしば怠けていると責められ、また「勉強できない人」は、十分なサポートや理解を得られないまま、残念ながら取り残されてしまうことも少なくありませんでした。このように、私たちが歩んできた「勉強の歴史」を振り返ってみると、それは単に教育制度の変遷を辿るだけでなく、その時代の「社会が個人にどのような学びの形を求めていたのか」ということと、「それに対して、私たち一人ひとりの個人がどう対応し、時に苦しんできたのか」という、人間と社会の間に横たわる、非常に深く、そして複雑な関係性の物語であることに気づかされますね。過去を知ることで、これからの学びの姿を考えるヒントが見つかるかもしれません。

