学びと勉強: その違いを分かりやすく見てみましょう

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 「学び」と「勉強」と聞くと、なんだか似たような響きに聞こえますよね。どちらも本を開いたり、先生の話を聞いたりして、新しい知識を身につけることには変わりない、そう思っている方も多いかもしれません。ですが、実はこの二つの言葉には、私たちの心の奥底にある動機から、その過程、そして最終的に何を得るのかというところまで、驚くほど大きな違いが潜んでいるのです。この違いをじっくりと掘り下げていくことは、私たちがこれからどう生きていくか、子どもたちにどんな教育を施していくべきか、といった大切な問いを考える上で、きっと新しい視点を与えてくれるはずです。さあ、一緒に「学び」と「勉強」の世界を、一つひとつ丁寧に紐解いていきましょう。まるで違った二つの道のように見えてくるかもしれません。

 さて、まずその「始まり」に目を向けてみましょうか。「学び」というもののきっかけは、ほとんどの場合、私たちの心の内側からふつふつと湧き上がってくる、抑えきれないほどの「知りたい!」という衝動や、純粋な好奇心、つまり「内発的な好奇心」とでも呼べるものなんです。例えば、小さな子どもがアリの行列をいつまでも飽きずに見つめていたり、大人が趣味の世界に没頭して夜通し調べ物をしたりする。あの、心から「面白い」「もっと知りたい」と感じる気持ちが、学びの原動力なんですね。そこに誰かに言われたからとか、テストがあるからという理由は一切ありません。ただただ、自分の心が動かされるままに、自然と知識の泉へと吸い寄せられていくような感覚、それが「学び」の最初の扉を開く鍵だと言えるでしょう。

 一方で、「勉強」というのは、少し違う風景を見せてくれます。こちらは、多くの場合、私たちの外側にある目標や要求に応えようとするときに、本格的にスイッチが入るものなんです。例えば、来週の定期テストで良い点を取らなきゃ、とか、将来の夢のためにこの資格はどうしても必要だ、といった具体的な「外的な目標」が明確にある時ですね。あるいは、社会に出てから必要とされる専門スキルを身につけるために、参考書を広げてひたすら暗記する、なんていう場面も「勉強」の典型的な姿です。これは、自分の内側から湧き上がる衝動というよりは、「やらなければならない」「達成したい」という義務感や目的意識が先に立つことが多いかもしれません。どちらが良い悪いという話ではなく、根本的な「頑張る理由」が違う、ということを知っておくのは、とても興味深いことだと思いませんか。

 次に、「何のためにそれをするのか」、その「目的」の違いについても考えてみましょう。「学び」という旅のゴールは、点数や資格というよりも、もっと深く、そして広大な地平に広がっています。物事の本質を深く理解し、それによって昨日までの自分とは違う新しい自分へと変容していくこと。世界をこれまでとは違った視点で見つめられるようになり、自分自身のものの見方や考え方(これを「世界観」と呼んでもいいかもしれません)が豊かに、そして大きく広がっていくことこそが、「学び」の真骨頂だと私は感じています。知識そのものよりも、その知識が自分の中でどう化学反応を起こし、どう人生に影響を与えるかに重きが置かれるわけです。

 それに対して、「勉強」の目的は、もっと明確で具体的なことが多いですね。特定の分野の知識を正確に頭の中に収めたり、あるいは特定の技術やスキルを習得したりすることにあります。そして、その習得した知識や技術を使って、何らかの「具体的な結果」、例えばテストでの高得点や資格の取得、仕事でのプロジェクト成功といった「成果」を出すことが求められるのです。つまり、「勉強」は、インプットしたものがどれだけ正確にアウトプットできるか、というところに重きが置かれていると言えるでしょう。これは、社会で生きていく上で非常に大切な能力ですよね。目的がはっきりしている分、努力の方向性も定めやすいのが「勉強」の良さかもしれません。

 では、実際にどのように物事を進めていくのか、「プロセス」の違いはどうでしょうか。「学び」は、まるで広大な森を探検するような自由さがあります。決まった順序やカリキュラムに厳しく縛られることはありませんし、時に寄り道や回り道をすることも大歓迎です。興味の赴くままに、あっちの木を観察したり、こっちの小川で水遊びをしたり…そう、まるで「非線形的」に、そして何よりも「自己主導」で進められることが多いのです。予想外の発見があったり、思わぬところで点と点がつながったり、そういった偶発性の中にも大きな喜びと成長の機会があるのが「学び」の醍醐味ではないでしょうか。自分のペースで、自分の心の声に耳を傾けながら進む、そんな贅沢な時間ですね。

 翻って「勉強」の進め方を見てみると、こちらはもっと計画的で、整然とした印象を受けます。多くの場合、学校の教科書や決められたカリキュラムにしっかりと沿って、一歩一歩、順序立てて進められます。効率的に、そして最短ルートで目標達成を目指す、そんな「線形的」なアプローチが主流ですね。予習復習をしっかり行い、問題を解き、分からないところは先生に質問する。そうした地道な努力の積み重ねが、やがて大きな成果へと結びつくわけです。これもまた、目標に向かって着実に力をつけていくという意味では、非常に合理的で効果的な方法だと言えるでしょう。私たちも学生時代に、こうした「勉強」のやり方を身につけてきたはずです。

 そして、その努力が報われたのか、どう評価されるのかという「成果の評価」についても、両者には大きな隔たりがありますね。「学び」の場合、目に見える数字で測られることは、ほとんどありません。本人がどれだけその内容に納得し、腑に落ちたのか。そして、その経験を通じて、どれだけ内面的な成長や変化を感じ取れたのか、といった「主観的な感覚」が非常に大切にされます。さらに言えば、結果だけではなく、その探求の「過程(プロセス)」そのものに大きな価値が見出されることが多いのです。例えば、あるテーマについて深く考え抜いた時間そのものが、かけがえのない財産となる、といった具合でしょうか。評価の軸が、自分自身の内側にしっかりと置かれているのが「学び」の特徴です。

 一方、「勉強」の評価は、とても客観的で分かりやすい基準が用いられます。試験での点数、合否判定、習熟度テストのスコアなど、誰が見ても同じように判断できる数値や指標が重視される傾向にありますね。会社であれば、資格の取得状況や業務遂行能力などがそれに当たるでしょう。もちろん、その結果に至るまでの努力も尊いものですが、最終的には「具体的な結果(成果)」が出せたかどうかが、評価の大きなウェイトを占めることになります。これは、社会生活の中で自分の能力を証明し、他者と共有するための大切な仕組みでもありますから、決して軽んじることはできません。成果が形として残ることで、次のモチベーションにも繋がりやすい、という側面もあるのではないでしょうか。

 時間軸で捉えてみると、「学び」は、本当に「一生涯を通して続く」、まるで終わりのないマラソンのようです。赤ちゃんが言葉を覚え、子どもが遊びの中から社会性を学び、大人が新しい知識やスキルを身につけ、そして高齢になっても好奇心を持って新しいことに挑戦する。日々の生活の中で得られるちょっとした発見や気づきも、すべてが「学び」の一部だと言えるでしょう。特定の期間に限定されることなく、人生という大きな流れの中で常に続いていく、それが「学び」の本質的な姿なのかもしれませんね。むしろ、学びをやめた時が、人間としての成長が止まる時なのかもしれない、そんな風に感じることがあります。

 それに比べて「勉強」は、しばしば「特定の期間と目標」に集中して行われるのが一般的です。例えば、大学受験のために高校の3年間を必死に頑張る期間だったり、新しい職種に就くために半年の期間で専門学校に通う、といった具合です。目標が達成されれば、ひとまずその「勉強」は一段落、という形になることが多いですね。もちろん、その成果を維持したり、さらに高めたりするために継続的な努力は必要ですが、最初の集中したフェーズは区切りがつきます。だからこそ、その期間は非常に密度の濃い、集中的な時間となるわけです。期間限定で目標をクリアするための、集中特訓期間と考えると分かりやすいでしょうか。

 「失敗」に対する考え方も、この二つでは大きく異なってくるのが面白い点です。「学び」の世界では、たとえ思ったようにいかなかったこと(いわゆる「失敗」と見なされること)があったとしても、それをネガティブなものとして捉えることはあまりありません。むしろ、「どうしてうまくいかなかったんだろう?」「ここから何を学べるだろう?」といった具合に、次に活かすための貴重な「経験」や、さらなる「学習の機会」として、前向きに受け入れられることがほとんどです。むしろ、失敗からの方が多くを学べる、という声もよく聞きますよね。完璧を目指すよりも、試行錯誤の過程そのものを慈しむ、そんな包容力が「学び」にはあるように思います。

 ところが、「勉強」においては、残念ながら失敗は「避けたいもの」であり、「間違いを正す(修正の対象)」べきものとして捉えられがちです。テストでバツがつくことや、期待通りの結果が出ないことは、多くの場合、好ましくない事態と認識されますよね。間違えた問題はすぐに解き直し、なぜ間違えたのかを徹底的に分析して、二度と同じ過ちを繰り返さないように修正する。これはこれで、正確な知識やスキルを身につける上では非常に大切な姿勢です。しかし、その過程で、失敗を恐れるあまり、新しい挑戦をためらってしまう、なんていう側面も生じやすいかもしれません。完璧を求めるゆえの、ある種の厳しさがあると言えるでしょう。

 そして最後に、これらが「社会とどう関わるのか」という視点から見てみましょう。「学び」というものは、基本的に「個人の内面的な経験」や「心の成長」に深く焦点を当てています。自分が何を感じ、どう考え、どのように世界を理解していくか。それは、他者との比較や評価とは一線を画す、非常にパーソナルな体験なのです。もちろん、その学びが結果的に社会に貢献することもありますが、その出発点はあくまで自分自身の内にあるといえるでしょう。自分の心を豊かにし、人間性を磨く、そんなスピリチュアルな側面も持ち合わせているのではないでしょうか。

 一方、「勉強」は、学校や職場といった具体的な「社会の仕組み(社会システム)」の中で、自分がどう位置づけられ、どう役に立ち、どう評価されるか、といった「関係性」が中心になります。良い学校に入り、良い会社に就職し、社会で認められる。そうした目標は、社会的な成功と直結していることが多いですよね。自分の努力が社会の中でどのように価値を生み出し、どのように認められるかという視点が、常に意識の中に存在していると言えるかもしれません。私たちは、この「勉強」を通して、社会という大きな舞台で活躍するためのチケットを手に入れることができる、そんな風にも考えられます。どちらも私たちの人生には欠かせない大切な要素であり、それぞれが異なる光を放っていることが、お分かりいただけたのではないでしょうか。