クリティカルポイント①:情報の民主化は本当に良いことか
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この文書では、情報技術の発展を、これまで前向きに捉えてきました。誰もが情報を手に入れ、発信できるようになったことは、現代社会の大きな特徴です。しかし、ここで一度立ち止まり、深く考える必要があります。誰もが自由に情報を発信できるようになったことは、社会全体にとって本当に良いことばかりだったのでしょうか。
もちろん、情報の民主化(誰もが情報を発信できること)には、多くの素晴らしい側面があります。これまで埋もれていた情報が世に出たり、少数派の声が届くようになったりするなど、社会に多様性をもたらしました。しかし、同時に、大きな問題も生み出しているのです。その問題とは、専門的な知識を持たない人の意見と、長年にわたる研究や経験を積んだ専門家の意見が、インターネット上では同じような重みで扱われてしまうことです。
例えば、医療の分野を考えてみましょう。大学の医学部で何年も専門的な知識を学び、病院で多くの患者さんを診てきた臨床経験豊富な医師の意見は、その道のプロとしての確かな根拠に基づいています。しかし、インターネットで少し調べただけの一般の人が発信する個人的な見解や、科学的根拠が不明確な情報も、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)などのプラットフォーム上では、同じように多くの人々に拡散されてしまうことがあります。
これにより、科学的な裏付けのない健康法や、時には危険を伴う民間療法が、あたかも正しい情報であるかのように広まってしまうケースが後を絶ちません。こうした情報が、人々の健康や生命に悪影響を及ぼす可能性も否定できません。これは、情報が「誰でも」発信できるようになったことの、負の側面と言えるでしょう。
さらに、このような状況は、人々が正しい情報を判断する能力(クリティカルシンキング)を低下させる恐れもあります。どの情報が信頼できるのか、どれが誤った情報なのかを見分けることは、専門家でも難しい場合があります。一般の人々にとっては、その判断がより一層困難になる傾向にあります。
専門家の意見
医学部で何年も学び、臨床経験(実際の医療現場での経験)を積んだ医師による、科学的根拠(実験や研究で証明された事実)に基づいた信頼できる情報です。
一般人の意見
インターネットで調べただけの一般人による、個人の見解や、未確認の情報。時には誤った内容が含まれる可能性もあります。
このような事態を考えると、情報の質を保つためには、かつて存在した「門番(ゲートキーパー)」(情報を選別し、公開する役割を担う存在)が、ある程度必要だったのではないでしょうか。かつてのメディアや学術機関(大学などの研究機関)は、情報の信憑性(情報が信頼できるかどうか)をチェックし、社会に公開する前のフィルター(情報の選別)としての役割を果たしていました。
もちろん、過去の「門番」にも問題がなかったわけではありません。情報が一部の人々に独占され、多様な意見が抑圧されることもありました。しかし、少なくとも、情報の真偽については、一定の基準が設けられていたことは確かです。現在の情報社会では、この「門番」の役割が失われ、情報が野放しになっている状況にあります。
私たちは、情報の民主化がもたらした自由と引き換えに、情報の信頼性という、非常に大切なものを失いつつあるのかもしれません。これからの時代、私たち一人ひとりが、どのように情報と向き合い、その真偽を見極めていくのかが、ますます重要になってきます。これは、私たち社会全体にとって、避けては通れない大きな課題なのです。

