クリティカルポイント②:「当たり前」の喪失は社会の崩壊か
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この文書では、これまで「当たり前」が通じなくなることを、多様性が広がる前向きな変化として考えてきました。しかし、ここでは少し立ち止まり、別の視点からこの問題を見てみましょう。私たちは、共通の「当たり前」(社会の中で多くの人が共有する基本的な考え方や価値観)がなくなってしまうことが、実は社会の土台そのものを壊すことにつながるのではないか、という懸念も抱くことができます。
社会がきちんと機能し、人々が安心して生活していくためには、最低限の「共通認識」が必要です。たとえば、「人を殺してはいけない」というルールや、「嘘をつくことは良くない」という道徳的な考え方、そして「約束したことは守らなければならない」という信頼の原則などです。これらは、人間関係や社会生活を成り立たせる上で、非常に大切な基本的な価値観と言えるでしょう。
もし、このような基本的な価値観が揺らいでしまったら、社会はどうなってしまうのでしょうか。私たちは、日々の生活の中で、このような「当たり前」があるからこそ、他人を信じ、協力し、社会の中で安心して暮らすことができます。共通の「当たり前」は、私たちが社会を構成するための接着剤のような役割を果たしているのです。
社会機能に必要な共通認識
社会が成り立っていくために、みんなが共有している基本的な考え方です。例えば、「人を殺してはいけない」というような、普遍的な価値観が含まれます。
「嘘をついてはいけない」という正直さや、「約束は守るべきだ」という信頼の原則も、この共通認識の大切な一部です。
相対化の危険性
あらゆる価値観が「人それぞれだ」と、それぞれの立場で違って良いとされることです。これにより、社会の土台となるような基本的な価値観までが揺らいでしまう可能性があるのです。
しかし、今の時代は、すべてが「相対化」(それぞれの立場や状況によって、物事の価値や意味が変わること)されてしまう傾向にあります。これにより、先に挙げたような「人を殺してはいけない」といった基本的な価値観さえも、「それは人それぞれの考え方だ」と、簡単に片付けられてしまう危険性が出てきているのです。そうなってしまうと、社会の基盤が徐々に不安定になってしまうかもしれません。
実際に、インターネット上の一部のコミュニティでは、社会の一般的なルールや常識に反する行動を、独自の解釈で「正しい」と正当化してしまう例が見られます。例えば、特定のグループに対する差別的な発言や、他者を攻撃するような言動が、そのコミュニティの中では「当然のこと」として受け入れられている場合もあるのです。
このような状況は、「多様性を認める」という、本来は良い目的の名のもとに、社会の秩序を壊すような考え方までをも容認してしまうことにつながりかねません。私たちは、どこまでを「多様性」として受け入れ、どこからを「社会の崩壊につながる危険な考え方」として区別するべきなのでしょうか。この線引きは非常に難しい問題です。
共通の「当たり前」が失われることは、「社会契約」の崩壊へとつながる可能性を秘めています。この契約が壊れてしまうと、私たちは一体、何を基準に、どのように社会を築いていけば良いのか、その指針を見失ってしまうことになるでしょう。

