理想化された「学ぶ人」像がもたらす課題

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 私たちが「学び三態」や「勉強三態」という概念を深く掘り下げて考えていく時、つい陥りがちな、まるで落とし穴のような問題に気づかされます。それが、「理想化された『学ぶ人』像」というものです。このイメージは、まるで輝く星のように、常に好奇心に満ち溢れ、誰に言われるでもなく自分の心の中から湧き出る「やりたい」という気持ち、つまり「内発的動機」だけで、自ら進んで学び続ける人を理想とする考え方ですね。一見、これほど素晴らしい学習者の姿はない、と思えるかもしれません。

 しかし、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。現実の学びの現場、あるいは私たち自身の経験に照らし合わせてみると、この理想像がどれほど複雑で、私たちの実際の姿とはかけ離れているかが見えてくるのではないでしょうか。なぜなら、人間は感情豊かな生き物ですし、学ぶ動機というものは、その時々の状況や心の状態によって、まるで川の流れのように刻々と変化していくものだからです。

 いつもいつも、まるでAIのように完璧な学習者であることを自分に課し、完璧でなければならないとプレッシャーを感じてしまうと、どうなるでしょう。それは、本来楽しいはずの学びそのものから人々を遠ざけてしまうだけでなく、ひどい場合には「自分はダメな人間だ」と自己肯定感を損ねてしまう、そんな危険性すら孕んでいます。この、ちょっぴり過剰とも言える理想像は、知らず知らずのうちに、私たちの学びを巡る様々な課題を引き起こしている可能性があるのです。

 具体的に、どのような課題が生まれるのか、いくつか挙げてみましょう。まず、一つ目は「非現実的な期待」を生んでしまうことです。考えてみてください、私たち人間にとって、毎日毎時間、高い好奇心を燃やし続け、自らの意志だけで学び続けるというのは、本当に至難の業ではないでしょうか。時には、目の前に迫る試験に合格したい、あるいは何か新しい資格を手に入れたいといった、外からの目標、いわば「外発的動機」によって、人は学びのスイッチを入れることもあるでしょう。これは、決して悪いことではありません。むしろ、人間らしい、ごく自然な学習のプロセスとして、温かく受け入れるべき現実なのですね。この「完璧な理想像」ばかりを追い求めると、「なぜ自分はこんなに楽しんで学べないのだろう」と、必要以上に自分を責めてしまいかねません。

 二つ目として、「動機の多様性と変化」という点が挙げられます。私たちの学ぶ動機は、実に多種多様で、そしてとても柔軟なものなんです。個人の夢や目標、今置かれている環境、その日の気分や感情といった、さまざまな要因によって、学びの「なぜ」はいつも揺れ動いています。例えば、最初はただ純粋な興味だけで始めた学びも、ある段階では「この知識を使って誰かの役に立ちたい」「努力が報われて、ちゃんと評価されたい」といった、ちょっと違った動機が顔を出すこともありますよね。あるいは、資格取得という明確な目標に向かって走り出したけれど、その過程で、知らなかった世界に触れて純粋な知的好奇心が芽生える、なんてことも。これらは決して矛盾するものではなく、むしろ互いに影響し合い、複雑に絡み合いながら、私たちの学びを支えている大切な要素なのです。

完璧な学習者像に縛られず、このようなグラデーションに満ちた動機の変化を、柔軟に受け止めることが、もっと自由に学ぶための第一歩となるでしょう。

 そして三つ目は、知らず知らずのうちに生まれる「精神的なプレッシャー」です。「理想の学習者」という、少々窮屈な枠の中に無理やり自分を押し込もうとすることは、学習者自身の心に、本当に大きな負担をかけてしまいます。「常に楽しんで学ばなければならない」という強い思い込みが生まれると、どうでしょう。本来、知的な刺激や喜びをもたらしてくれるはずの学び自体が、いつの間にか「義務」や「苦痛」へと姿を変えてしまう可能性があるのです。学びのプロセスには、壁にぶつかったり、飽きてしまったり、なかなか集中できない日があったり…といった、ネガティブな側面が必ず存在します。それらもひっくるめて、「学びの現実」として捉え、自分を追い詰めすぎない視点を持つことが、心理的な健康を保つ上でも非常に大切ではないでしょうか。

 このような、ちょっと厳しすぎる「理想化された学習者像」が社会全体に広く浸透してしまうと、多くの人々が「なぜ自分はこんなに心から楽しんで学べないのだろう」「周りの人はもっとスマートに学んでいるのに」と、不必要な自己否定に陥りやすくなってしまいます。私たちに本当に求められているのは、学びの持つ多様な側面、そして学習者がそれぞれ直面している現実的な課題や困難を深く理解し、その一人ひとりの状況に寄り添った、柔軟で温かいサポートを提供していくことだと思います。

 学びの動機が、時に強く、時に弱く、そして様々な形に移ろいゆく姿を、ありのままに受け入れる。そうすることで、個人がそれぞれのペースで、自分らしく伸び伸びと成長できるような環境を社会全体で育んでいくこと。それこそが、誰もが学び続けられる、真に持続可能で人間味あふれる「学びの文化」を築き上げていくための、何より大切な鍵となるのではないでしょうか。