「学び三態」と「勉強三態」の二分法が抱える課題:もっと深く、リアルな学習の姿を探る旅
Views: 0
私たちがこれまで大切にしてきた「学び三態」や「勉強三態」という考え方は、確かに学習という複雑な営みを理解する上で、素晴らしい手がかりをたくさん与えてくれましたよね。それぞれの本質を捉え、学習の種類を整理するのにとても役立つ視点だったと思います。しかし、どんなに優れた概念も、現実のすべてを完璧に言い表せるわけではありません。時には、この二分法が、私たちの身の回りにある、もっと豊かで、もっと入り組んだ学習の姿を、少しだけ単純化しすぎているように感じることもあるのではないでしょうか。現実の学習は、まるで美しい絵の具が混じり合うパレットのように、「学び」(自分の内側から湧き出る知的好奇心に基づいた学習)と「勉強」(目標達成や評価を得るための計画的な学習)のどちらか一方にすっきりと区別できるものではないからです。
むしろ、多くの場合は、この二つの要素が溶け合い、互いに影響し合いながら、まるで「グラデーション」(色の濃淡が少しずつ変化していくように、連続的に移り変わる状態)を形成している、そう捉える方が、しっくりくるように思えるのです。例えば、考えてみてください。心から「知りたい!」という純粋な興味、つまり「学び」から始まった読書や探求が、いつの間にか「この知識を活かして、次の試験で良い点を取ろう」という「勉強」の目標と結びつくことって、よくありますよね。あるいは、ある専門分野に心底惹かれ、もっと深く掘り下げたいという情熱が、その分野の「資格を取得して、自分のスキルを証明したい」という具体的な目標と重なり合うことで、学習がさらに加速し、より確かなものになっていく。こうした経験は、きっと誰にでも一度はあったのではないでしょうか。このような場合、それはもはや単純な「学び」でも「勉強」でもなく、まさに「統合された学習」(自分の心からの願いと、外からの目標が一つになった、より力強い学習のこと)と呼べる状態なのです。
私たちの学習活動の根底には、「内発的な動機」(自分の心から湧き出る「やりたい」という気持ちや、純粋な好奇心、楽しさから来るエネルギー)と、「外発的な動機」(良い成績を取りたい、誰かに褒められたい、試験に合格したい、といった外部からの評価や報酬を求める気持ち)が、常に複雑に絡み合い、互いに影響を与え続けています。まるで、二つの異なる川の流れが合流して、一本の大きな川となるように、私たちの学びの旅を形作っているんですね。もし、これらの動機を「学び」と「勉強」という二つの箱にきっちり分けて考えてしまうだけでは、それぞれの動機が織りなす豊かな関係性や、私たちが状況に応じて、これらをどんな風に組み合わせて使っているのか、という大切な部分を見落としてしまうかもしれません。
少し具体的なエピソードを考えてみましょう。たとえば、ある学生が、最初は「親に言われたから」「周りのみんながやっているから」という、どちらかというと「外発的な動機」で、苦手な科目の勉強を始めたとします。最初は気が進まず、ただ義務として机に向かっていたかもしれません。ところが、ある日、授業で習った内容が、ふとしたきっかけで、テレビのドキュメンタリー番組や、友人との会話に出てきたとします。その瞬間、「ああ、あの時習ったことは、こんなに面白いことにつながるんだ!」と、突然、学ぶことの「面白さ」や「発見の喜び」を感じることがあるんですね。するとどうでしょう。それまで「やらなければならないこと」だった勉強が、いつの間にか「もっと知りたい」「もっと深く探求したい」という、自分の内側から湧き上がる「内発的な動機」へと、その質を変えていくのです。
このような経験は、決して珍しいことではありません。むしろ、私たちの学習のプロセスでは、ごく自然に、そして頻繁に起こっていることなのです。最初は外からの刺激や目標に引っ張られていたとしても、その過程で得られる小さな成功体験や、新しい知識が既存の知識と結びつくことの喜び、あるいは、それまで気づかなかった自分の才能や興味の発見を通じて、内発的な動機が育っていく。これは、まさに学習というものが、固定されたものではなく、常に変化し、成長し続ける生き物のような性質を持っている証拠だと言えるでしょう。このダイナミックな変化を、「学び」か「勉強」かのどちらかに固定してしまうのは、あまりにももったいないことです。
このように、私たちの心の内側から来る「やってみたい」という気持ちと、社会や目標から与えられる「やらなければならない」という目標の間を、まるで揺れ動きながら、あるいはその両方を同時に抱え込みながら進んでいくのが、本当の学習の姿なのではないでしょうか。それは、とても柔軟で、変化に富んだ、まるで生き物のような活動です。ある時は純粋な好奇心に突き動かされ、またある時は目標達成のために努力を重ねる。そして、その二つが美しいハーモニーを奏でるとき、私たちは最も深く、最も意味のある学びを体験できるのかもしれませんね。この「二分法」(物事を二つに分けて考える方法)だけでは捉えきれない、学習の豊かな「グラデーション」を理解することは、私たち一人ひとりの学習者に、もっと寄り添い、もっと個別化された、より良い学び方を一緒に考えていく上で、きっとかけがえのない大切な視点を与えてくれることでしょう。だからこそ、この考え方の限界を知ることは、決してネガティブなことではなく、むしろ、より深い理解への第一歩だと私は考えています。

