二重思考が蔓延る現代社会で、私たちの「意思」はどこへ向かうのか

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 ジョージ・オーウェルの『1984年』を初めて読んだ時、私はあの「二重思考(ダブルシンク)」という概念に背筋が凍るような思いがしたものです。互いに矛盾する二つの信念を何の疑問もなく同時に受け入れ、信じ込んでしまう能力 まさか、それが現代、私たちが生きるこの社会に、これほどまでに巧妙な形で忍び寄ってくるとは、当時の私は想像だにしていませんでした。これは単なる建前や偽善とは一線を画します。意識せずして相反する事実を内包し、その矛盾に気づくことすらしない、あるいは気づいても深く気に留めない、そんな状態が今、私たちの日常に深く根を下ろしつつあると感じています。

 考えてみれば、この「矛盾の受容」は、本当に驚くほど広範囲に見られますね。例えば、私たちは口々に「民主主義こそが重要だ」と語りながら、ふとした時に、あるいは状況に流されて、強いリーダーシップや、時には権威主義的な政策を支持してしまうことがあります。あるいは、「個人のプライバシーは守られるべきだ」と力説しながら、スマートフォンアプリの利用規約をろくに読まずに承諾し、知らず知らずのうちに自らの個人情報が収集され、監視社会の進展を容認している。そして、地球環境の保護を真剣に訴える一方で、日々の暮らしでは大量生産・大量消費のサイクルからなかなか抜け出せない 。こうした矛盾が、特別なことではなく、私たちの社会のあらゆる層で、当たり前の光景となりつつあるのです。

 なぜ、こんなことが起こるのでしょう。情報過多の現代において、複雑な現実を理解し続けることは、私たちにとって実に大きな負荷です。私たちは無意識のうちに、この認知的な負担を減らそうとします。その結果、「認知的不協和」、つまり自分の信念と行動の間にズレが生じたときの不快感を解消するために、都合の悪い事実には目を瞑ったり、矛盾そのものを「そういうものだ」と受け入れたりするようになってしまう。これは人間としては自然な心の働きなのかもしれませんが、その先にあるのは、政治的な問題に対する無気力、そして深く考えることを放棄する「思考停止」の状態ではないでしょうか。

 こうした状態が蔓延すると、権力を持つ者たちにとっては、私たちを操作することが極めて容易になります。特定の情報だけを意図的に流したり、都合の悪い事実を巧妙に隠蔽したりすることで、人々の意識を特定の方向に誘導し、望む世論を形成することが可能になってしまうのです。これは、地政学的な視点から見ても、国家間の情報戦や影響力行使の新たな局面を示唆しているように思えてなりません。

 そして、私が最も懸念しているのは、私たちの「思考そのものが武器化される」可能性です。2050年頃までには、神経科学と人工知能(AI)の融合が飛躍的に進展し、私たちの認知そのものが直接的に操作される時代が到来するかもしれません。既に研究段階にある「脳-コンピュータ・インターフェース(BCI)」のような技術がさらに一般化すれば、私たちの思考、感情、そして記憶にまで直接アクセスし、場合によってはそれを改変することも技術的には可能となるでしょう。もし、そんな未来が現実になったとしたら。

 思想統制は、もはやかつてのような外部からの強制的な抑圧という形ではなく、あたかも私たち自身の内側から湧き上がった「自発的な選択」であるかのように、巧妙に実現されてしまうかもしれません。つまり、「これが正しい」と心から信じ込んでいることや、「こうしたい」という強い欲求そのものが、実は外部の意図によって綿密に操作された結果である、という恐ろしい事態も考えられるわけです。まるで『1984年』の登場人物が、他者の指示ではなく、自らの意思で「ビッグブラザーを愛する」に至ったように、です。これでは、地政学的な戦略の中核に、個人の意識操作が据えられる可能性すら否定できません。

 私たちは今、まさに「思考の自由」を守るための最後の砦に立たされています。この思考の自由とは、外部からの不当な介入なしに、自らの頭で物事を考え、判断し、矛盾を認識し、そして真実を追求する、人間として最も根源的な能力のこと。テクノロジーの発展が私たちの生活を豊かにする一方で、その悪用によって私たちの最も大切な自由が脅かされる可能性に、私たちは今、真剣に向き合わなければなりません。これからの地政学的変動が激しい時代においては、どのような情報に触れ、何を信じるかを自ら選択し、批判的に思考する力が、国家の、そして私たち個人の「持続可能性」にとって、これまで以上に決定的に重要になるでしょう。