抽象思考の獲得
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私たちは毎日、実に様々な出来事や、心揺さぶられる感情に触れて生きています。目まぐるしく変化する日常の中で、つい目の前のことに意識が向きがちかもしれません。ですが、実はその行動や、私たちの世界そのものを深く形作っている、とても大切な「抽象的な概念」について深く思いを巡らせる力。それこそが、いわゆる「抽象思考」を育むことにつながる、と私は心から信じています。
たとえば、私たちの暮らしの中に深く根ざしている「正義」という言葉。あるいは、誰もが求める「自由」、心を温める「愛」、そして世界中で願い続けられる「平和」といった概念を想像してみてください。これらは、手で触れることも、目で見ることもできませんね。しかし、私たちの生き方や、社会のあり方にどれほど計り知れない影響を与えていることでしょう。まるで、見えないけれど確かにそこにある、私たち一人ひとりの心の羅針盤のような存在。時に優しく、時に厳しく、私たちの進むべき方向をそっと示してくれているかのようです。
そうした、一見すると捉えどころのない抽象概念を、時間をかけてじっくりと咀嚼し、頭の中で色々な組み合わせを試してみる。そうすることで、今まで気づかなかった物事の本質が、ふとした瞬間に光を当てられたかのように見えてきたり、あるいは、まるで深い森の奥へと誘われるように、哲学的な問いへと導かれたりすることがあります。それはまるで、真新しい画材店に足を踏み入れ、並べられたたくさんの絵の具の中から心惹かれる色を選び、自分だけの新しい景色をキャンバスに描くような、そんな無限に広がる心の世界を感じさせてくれるはずです。思考のパレットの上で、これらの概念を自由に混ぜ合わせ、新たな意味合いを見つけ出す喜びは、きっと皆さんの心を豊かにするでしょう。
さて、まずは私たちの身近にある「正義」について、少しばかり深く考えてみましょう。「正義」とは一体何でしょう?それは、何が正しくて、何が間違っているのかを、私たちが判断するための、見えない物差しのようなものかもしれませんね。例えば、公園で子どもたちが滑り台の順番をきちんと守って遊んでいる姿を見た時、私たちはそこに小さな「正義」を感じます。あるいは、困っている友人がいたら、何も言わずにそっと手を差し伸べる優しさ。そして、社会のルールを守ってみんなが安心して暮らせるように、と願う気持ち。これら全てが、私たちが日々触れる、小さくも確かな正義の形です。しかし、抽象思考をさらに深めていくと、「そもそも、このルールはなぜ『正義』だとされるのだろう?誰にとっての正義なのだろう?」といった疑問が湧いてきます。さらに、「地球の裏側にある国々では、この『正義』の考え方はどう異なってくるのだろうか?文化や歴史の違いが、正義の認識にどう影響するのだろうか?」そんな、もっと深く、そして広い視点からの問いが、私たちの心に次々と浮かんでくるものです。このような問いかけは、私たち自身の価値観を再確認し、他者の価値観を理解するための扉を開いてくれます。
次に、誰もが欲する「自由」という、これまた奥深い概念について考えてみましょう。私たちは「自由に遊びたい」「自由に好きなものを食べたい」と、日常の中でよく口にしますね。自分で何かを選ぶことができる。その選択の幅こそが、自由の大切な一面だといえるでしょう。例えば、長い夏休みに、今年は海に行こうか、それとも山に登ろうか、と自分で予定を立てる喜び。あるいは、将来どんな道に進もうか、どんな自分になりたいか、と夢を思い描くことができるのも、まさに自由があるからこそ描ける、希望に満ちた未来の絵です。しかし、自由には常に責任が伴います。私たちの「自由」な行動が、知らず知らずのうちに誰かの「自由」を奪うことになってはいないだろうか?夜中に大声で騒ぐ自由は、隣人の安眠を妨げることになりますし、ゴミをどこにでも捨てる自由は、街全体の美しさを損なうことになります。このように、自分の自由と他者の自由との間で、どのようにバランスを取るべきか、そんな繊細な感覚を養うこともまた、自由を深く考える上で欠かせない視点です。抽象的に「この社会における自由とは一体何だろう?」「どこまでが個人の自由で、どこからが社会の秩序なのか?」と問いかけることで、この多様な社会において、個人の自由と、みんなで築く幸福とがどうすれば両立できるのか、その探求へと繋がっていくはずです。そして、その答えは一つではなく、常に問い続け、対話し続ける中に見出されるものかもしれません。
そして、「愛」という言葉は、私たち人間の心にとって、おそらく最も根源的で、かつ最も豊かな感情の一つではないでしょうか。家族を慈しむ温かい気持ち、親友と喜びを分かち合う優しい時間、可愛がっているペットへの限りない眼差し。これら形のない感情のすべてが、「愛」という大きな、しかし包み込むような枠の中に存在しています。その「愛」を深く理解しようと努めることは、他者の気持ちにそっと寄り添い、思いやりの心を育むことに直結します。例えば、見知らぬ土地で困っている人に、言葉の壁を乗り越えて手を差し伸べるボランティア活動も、まさしく大きな愛の表現の一つ。道に迷った観光客に、笑顔で道を教えてあげる小さな親切もまた、日常に溶け込む愛の形です。抽象的な愛の概念を心に抱きながら深く考えることは、人と人との関係を豊かにし、争いのない、より良い社会を築き上げていくための、力強い原動力について深く考察するきっかけを与えてくれるはずです。愛とは、単なる感情ではなく、私たちを繋ぎ、支え合う力の源泉なのです。
最後に「平和」について、語り合いましょう。平和とは、争いがなく、誰もが心穏やかに、安心して日々の暮らしを送れる状態を指します。それは遠い国の話だけではありません。学校で友達と仲良く過ごす時間も、家族と食卓を囲む穏やかなひとときも、そして何よりも、自分自身の心が静かで安らいでいる状態も、そのすべてが、確かに「平和」の一部だと感じます。テレビのニュースで世界の紛争の報に接した時、「どうすれば、この悲しい状況に終止符を打てるのだろうか?」「私たちにできることは何だろうか?」と心を痛め、深く考えるのは、平和という抽象概念を真剣に考察している証拠ではないでしょうか。あるいは、自分の身の回りで起きる小さな意見の食い違いを、感情的にならず、対話を通じて解決しようとすることも、平和への第一歩です。抽象思考の力があれば、争いの根本原因はどこにあるのか、歴史的背景や社会構造、人々の感情の動きまでをも見据え、どうすれば恒久的な平和を築けるのか、といった壮大なテーマにも臆することなく向き合えるようになるかもしれません。平和は、個人の心の状態から、国際社会のあり方まで、あらゆるレベルで追求されるべき尊い概念なのです。
このように、「正義」「自由」「愛」「平和」といった、一見すると掴みどころのない、けれども私たちの生活に深く関わる抽象的な概念を、具体的な出来事や感情と結びつけながら深く考えていく。その習慣が、皆さんの心の海を広げ、物事をより多角的で豊かな視点から捉える、かけがえのない助けになることと信じています。日々のささやかな生活の中に、こうした大切な言葉たちについて、ほんの少し立ち止まって思いを巡らせる時間を作ってみてはいかがでしょうか。そうすることで、皆さんの内なる世界は、きっと色鮮やかに、そして深く、豊かなものへと変わっていくことでしょう。

