学びと勉強のバランスを考える

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 私たちの社会が、これからもずっと元気で、そして私たち一人ひとりが「ああ、今日もいい一日だったな」と心から思えるような毎日を送るためには、実はとても大切な二つの要素のバランスがカギを握っていると私は考えているんです。それが、「学び」と「勉強」という、一見似ているようで実は少し違う二つの活動なんですね。「学び」とは、自分の心から湧き上がる「なぜだろう?」「もっと知りたい!」という純粋な好奇心に突き動かされて、自由に探求していくプロセスのこと。たとえば、雨上がりの空に浮かぶ虹を見て「どうして七色に見えるんだろう?」と調べてみたり、図書館で偶然見つけた古い地図に夢中になったりする、そんな感覚に近いかもしれません。一方、「勉強」というのは、もっとはっきりとした目標があって、その達成のために知識やスキルを計画的に身につけていくことを指します。資格試験に合格するため、新しい仕事の技術を習得するため、学校のテストで良い点を取るため…そういった目的意識が伴うものですね。

 この二つは、どちらが優れているというわけではなく、それぞれが私たちの生活や社会にとって不可欠な役割を担っているんです。でも、もしこのバランスが崩れてしまったらどうなるでしょう?もし社会全体が「学び」ばかりに偏ってしまったら、つまり、みんなが好きなことばかり追いかけて、共通のルールや基本的な知識、社会を動かすためのシステムといったものが軽視されてしまうと、私たちは一体どうなってしまうでしょうか。もしかしたら、信号無視が横行したり、約束が守られなくなったり、社会の基礎が揺らいで混乱の渦に巻き込まれてしまうかもしれませんね。共通の土台がなければ、せっかくの自由な探求も、どこかで立ち行かなくなってしまうでしょう。

 その反対に、「勉強」ばかりが重視されるようなギスギスした社会も、やはり息苦しいものだと感じませんか?「とにかく目標達成!」「効率第一!」という圧力ばかりが強まると、みんなが決められたレールの上を走ることに必死になって、ふと立ち止まって「これは本当に面白いことなのかな?」と考える余裕を失ってしまいます。新しい発想や、これまでの常識を打ち破るような画期的なアイデアは、往々にして自由な「学び」の中から生まれてくるものですから、そうした芽が摘まれてしまうのは、社会全体にとっても大きな損失です。何より、自分の心と向き合わないまま、ただ義務感だけで知識を詰め込んでいくような毎日では、私たちの心の奥底にある「もっと成長したい」「何かを成し遂げたい」というやる気そのものが、シュンと萎んでしまう危険性も大いにあるのではないでしょうか。だからこそ、この「学び」と「勉強」の心地よいバランスを見つけることが、本当に重要な課題だと私は声を大にして言いたいのです。

 そして、この理想的な「学び」と「勉強」のバランスというのは、実は私たちの人生のステージ、つまり年齢や置かれた状況によって、まるで呼吸をするように変わっていくものなんですよね。固定されたものではないからこそ、私たちは常にその変化に目を向け、柔軟に対応していく必要があります。例えば、まだよちよち歩きをしている小さなお子さんの頃を想像してみてください。彼らにとってのメインは、まさに「学び」そのものですよね。おもちゃを床に叩きつけて音の響きを確かめたり、公園で蝶々を追いかけたり、砂場で泥だらけになって夢中で遊んだり…。大人の目から見れば「ただ遊んでいるだけ」に見えるかもしれませんが、実はその遊びの中にこそ、五感をフルに使って世界を探索し、たくさんの発見と感動を経験する、かけがえのない「学び」がぎっしり詰まっているんです。この時期に「知るって楽しい!」「もっとやってみたい!」という根源的な好奇心や、自ら学ぶ喜びが心の中にしっかりと育まれることが、その子が一生涯、どんな困難にぶつかっても学び続けるための、何より強固な土台となるのではないでしょうか。この大切な時期に「さあ、お勉強の時間よ!」と無理やり机に向かわせるのは、その子の未来の可能性を狭めてしまうような気がして、私としては少し胸が痛むんです。

 やがて、小学校や中学校に通う年齢になると、さすがに「勉強」の要素も少しずつ加わってきます。足し算や引き算、歴史の年号、文法のルールなど、社会で生きていく上でどうしても身につけておかなければならない基本的な知識やスキルがありますから、これは避けて通れない大切なプロセスです。でも、ここでも私たちは「勉強」を単なる苦行として捉えるのではなく、どうすれば「学び」をさらに深め、そしてその子の世界を広げていくための『手助け』として機能させられるかを、もっと真剣に考えるべきだと感じますね。たとえば、ただ暗記するだけでなく、「どうしてこの公式が生まれたんだろう?」「昔の人はどんな暮らしをしていたんだろう?」と疑問を持つきっかけを「勉強」が提供してくれる。そんな風に、基礎的な知識をしっかりと学ぶことはもちろん大切ですが、それが子どもたちの心の中にある「もっと知りたい!」というキラキラした知的な探求心を、つまらないものだと感じさせて押しつぶしてしまわないように、私たちは細心の注意を払わなければいけません。だって、一度消えてしまった好奇心の火を再び灯すのは、とても難しいことですからね。

 そして、私たち大人が社会に出て仕事をするようになると、「勉強」と「学び」の両方が、人生の質を左右するほどに、さらにその重要性を増してきます。仕事でしっかりと成果を出し、自分の役割を果たすためには、目標を設定し、それに向かって専門的な知識や新しい技術を計画的に習得していく「勉強」は、もはや避けて通れないどころか、自分自身を成長させるための大切なエンジンとなります。新しいプロジェクトに取り組むためにプログラミング言語を習得したり、顧客のニーズを深く理解するためにマーケティングの研修を受けたり…これらはまさに目的を持った「勉強」の典型例ですよね。でも、それだけではどこか物足りない、あるいは心の奥底で「このままでいいのかな?」という漠然とした不安を感じることもあるのではないでしょうか。

 そんな時に私たちを支えてくれるのが、「学び」の側面なんです。仕事のスキルアップとは直接関係なくても、個人的な趣味として絵を描き始めたり、前から興味があった哲学書を読み漁ったり、あるいは地域のボランティア活動に参加して多様な人々と交流したりする。これらは、自分の内面を豊かにし、心を満足させるための自発的な探求活動であり、まさに「学び」の真骨頂と言えるでしょう。仕事での目標達成(勉強)と、自分自身の人間的な成長や心の充実(学び)のどちらもが欠かせない、それが大人の世界でのリアリティなんですね。両方が揃ってこそ、私たちはプロフェッショナルとしても、一人の人間としても、より輝くことができると信じています。

 さらに、年を重ねて定年を迎え、人生の最終章へと差し掛かっていくと、再び「学び」の側面が私たちの人生に深い彩りを与えてくれることに気づかされます。現役時代のように誰かに評価されることや、激しい競争に身を置くことから解放され、純粋な知的な好奇心や、個人的な喜びのために学ぶことは、何よりも心の栄養になるのではないでしょうか。「もう若くないから…」なんて諦める必要はまったくないんですよ。例えば、若い頃にできなかった楽器を始めてみたり、世界の歴史をじっくりと学び直したり、地域のカルチャースクールで陶芸に挑戦してみたり…。そうした制約のない「学び」は、豊かな老後を送るための、まさに「鍵」となります。新しいことを知る喜び、できなかったことができるようになる達成感、そして何より、自分の世界が広がるワクワク感。これらは、私たち人間の心をいつまでも若々しく保ってくれる最高の特効薬だと私は考えているんです。人生のどの段階においても、この「学び」と「勉強」が、その時々の状況に合わせてうまく組み合わされていくような社会。そんな誰もが自分らしく、心豊かに生きていける未来を、私たちは目指していきたいものですね。